Appleはスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)の破天荒な行動から多くの重要な製品が生まれてきたといわれています。ジョブズの会議への遅刻や、実現が不可能と思われる要求を突きつけがあり、しかしそれによって何かが生まれたのです。ルーセントテクノロジーの元幹部が、その思い出を語っています。それは1998年4月20日、彼がクパチーノのApple本部会議室で、商用Wi-Fiが誕生した歴史的な瞬間のことです。
ジョブズはその年開かれた会議で、Appleがワイヤレスのノートブック型コンピュータを生産したいとしました。それから1年半後、Appleはあのクラムシェル型のiBookをリリースしました。これは世の中に先駆けてワイヤレス接続機能を持った商業製品となったのです。
その会議には、現在我々が当たり前のように使っているWi-Fiのことが取り沙汰されましたが、当時ルーセントテクノロジーのチームにいたCees Link氏(現在はQorvoの社長)によれば、それは非常に気まずい感じのスタートだったということです。Cees Link氏はその思い出を、ワイヤレス産業のニュースサイト、Wi-Fi Nowで回想しています。
ルーセントテクノロジーは、10年物時間を掛けて無線LANテクノロジー(Wi-Fi)の開発を行ってきました。しかしジョブズの目の前にいると、なぜか彼らの運はいつもよくなく、ジョブズはこの技術にはまっていた、というのです。
Appleはルーセントテクノロジーに声を掛けました。当時、ルーセントテクノロジーは300億ドル規模の会社で、Appleはそのたったの10分の1の規模の会社でした。Cees Link氏は、ジョブズは午後2時の会議に遅刻して来たそうです。「ジョブズが入ってきた時に、私は”この人は一体誰だ?”と思っていました。なぜなら彼は自己紹介をしなかったんです」とCees Linkは振り返ります。「私はヨーロッパ人だったので、彼の写真を見たことがなかったのです。また、私たちはビジネスマンが有名人という名義でメディアに登場するということに慣れていなかったのです」。
「彼は10分ほどで、無線LANは世界で最も偉大なもので、Appleにはそれが必要なんだということを語りました。スティーブ・ジョブズへのWi-Fiのプレゼンは実に簡単でした。私は単にいくつかのスライドを流しているだけで、彼は演説をしまし。しかし彼の演説とスライドは全く何の関係もありませんでした。最終的に彼は私たちに、50ドルのワイヤレスネットワークカードが欲しいと言いました。なぜなら、彼はそれを99ドルで売りたかったからです」。
ルーセントテクノロジーとAppleとの取引は成立しましたが、Cees Link氏は、その後の1年は会社にとっては激しい痛みに見舞われたといいます。なぜなら当時ワイヤレスネットワークカードの最低価格はAppleが販売したい価格を上回っていたからで、コスト削減をしなければならなかったのです。しかしAppleの購買力と、ルーセントテクノロジーの努力が最終的に上記のトリックの要求を可能にしてしまったということです。
1999年7月21日、MacWorld NYで、ジョブズは舞台に上がり、iBookを発表しました。そして、実際にフラフープにiBookを通して見せ、このiBookがワイヤレスでネットワークに繋がっていることを証明したのです。さすが、演出がうまいですよね。
このiBookはiMacと共に、スティーブ・ジョブズ復帰後のAppleの復活を象徴する製品となり、まさに歴史となったのです。
ジョブズは最初のApple Storeにも、店内にWi-Fiを張り巡らせました。線に縛られることがなく、どこでもインターネットができる、という現在では当たり前のことですが、そのことが世の中を変えることをジョブズは信じて止まなかったのでしょう。相手側のとんでもない努力を引き出し、不可能を可能にしてしまうジョブズの”魔力”にはいつも感心させられますね。
記事は以上です。
(記事情報元:Wi-Fi Now)