Appleの歴史:1977年、Wozはクリスマスも休まずApple IIのフロッピーディスクドライブを開発していた

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新型コロナウイルス感染症が猛威を振るう中今年のクリスマスは過ぎゆきましたが、皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。さて、1977年の12月25日、クリスマス当日はあのAppleの共同創業者の1人、スティーブ・ウォズニアック(Steve Woziniak、以下ウォズ)にとってはとても忙しい1日でした。Apple II用の革新的な5インチフロッピーディスクのプロトタイプの開発のため、ウォズは休暇を働いて過ごしたのです。

「私はクリスマスと新年の一日中、一晩中、そのことを成し遂げようと働いていました」とウォズは自伝、iWozで回想しています。「スティーブと私が卒業した学校であるホームステッド・ハイ・スクールに実際に通っていたランディ・ウィギントン(Randy Wiggington、Appleの初期の従業員)は、そのプロジェクトで私を大いに助けてくれました。」

そのウィギントンでさえ12月25日は休みました。しかしウォズは休暇をとらなかったのです。

ウォズにとっては本来最高の年の終わりを締めくくる日だった

1977年はウォズにとって素晴らしい年であり、おそらく彼のキャリアにとっては最初のクリエイティブなハイライトといえる年でもありました。なぜならその年の1月にAppleが正式にApple Computer Co.として法人化され、ウォズとスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)が共同創設者として登記されたことから始まりました。

ベンチャーキャピタルの後押しを受け、Appleは4月にサンフランシスコ・ベイエリア初のパーソナルコンピュータコンベンションであるウェストコースト・コンピュータ・フェアでApple IIを初めて披露しました。このコンピューターは2か月後の6月に発売され、基本ユニットの価格は1,298ドルでした。この価格は2017年の5,237ドルに相当します。日本円にすると50万円超えですね。

Apple IIは成功を収め、初年度の収益は77万ドルに上りました。ただし、このApple IIの更なる成功にはディスクドライブの重要性は軽視できませんでした。なぜなら、コンピューター上のストレージ不足の問題があったためで、ディスクドライブはそれに対処が可能だったのです。また、当時使用されていた低速のカセットテープレコーダーよりも、ユーザーがプログラムやデータを保存してアクセスするためのより速くより良い方法としてフロッピーディスクは使用されていたのです。

しかし当時フロッピーディスクはまだ比較的新しいテクノロジーでした。フロッピーディスクは1970年代初頭にIBMによって発明され、その後8インチだったオリジナルのフロッピーディスクは1976年にはShugart Associatesによって5.25インチにサイズが縮小されたのです。

Apple II用フロッピーディスクドライブの〆切は厳しかった

Appleの最初の投資家であり、その後2番目のCEOとなったマイク・マークラ(Mike Markkula)は、ウォズに対してAppleII用のディスクドライブを開発・構築することを推奨しました。マークラは、フロッピーディスクドライブはコンピュータを所有する喜びをもたらすだけでなく、Apple IIを購入する正当な理由を望んでいる顧客にとって、コンピュータをより魅力的なものにするだろうと語ったのです。

ウォズはそれを受けて、1月のCES(Consumer Electronics Show)に向けてフロッピーディスクドライブの実機デバイスを準備したかったため、クリスマスをも開発の時間に充ててデバイス(Disk II)を完成させることにしました。ウォズがハードウェア開発に取り組んでいる間、前出のウィギントンはApple II上でDisk IIを稼働させるために、必要なソフトウェアの開発を支援しました。

Disk II
Disk II。これがApple IIの大ヒットを支えた

結局、ウォズとウィギントンの2人はその厳しい締め切りに間に合い、Disk IIは1978年1月のCESで無事に展示され、そして6月に発売されました。Disk IIは、Appleにとって異常に儲かる商品となりました。なぜなら部品の原価はわずか140ドルだったのですが、595ドルで販売されていたからです。しかし当時はその価格でも、最も手頃に手に入るフロッピーディスクドライブでした。つまりフロッピーディスクドライブの市場価格は異常に高かったのです。

そのDisk IIのおかげもあって、Apple IIはAppleに1978年に790万ドルをもたらし、その翌年には4900万ドルをもたらしました。

ウォズにとっては働きづめのクリスマスとなりましたが、結果的にはウォズにとっても、Apple Computerにとっても非常によい結果をもたらし、結果的にはよいクリスマスだったといえるのではないでしょうか。

私も働いていましたが、来年それが実を結ぶかどうか、、というか、そこまでぶっ込んで仕事をするようなことはしていません。実は昨年のクリスマスは、私は現在の1coin VPNのシステムや決済関係の開発で忙しく、仕事をしていました。今年はその結果がもっと出て欲しかったのですが、コロナ禍のせいで勢いを削がれてしまいました。今年は特に仕掛けていないので、来年こそはまた何か仕掛けていきたいと思っています。やるべき時に正しいことをしたウォズやウィギントン達に拍手を送りたいです。

ところで最近多忙だったため、暫く更新ができず申し訳ございませんでした。

記事は以上です。

(記事情報元:Cult of Mac

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