44年前の1977年1月3日(日本時間1月4日)は、Apple Computer Co. が米国で正式に設立され、スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)とスティーブ・ウォズニアック(Steve Wozniak)、俗にいう二人のスティーブが共同創設者として登記された記念すべき日です。
2人のスティーブの後に加わった3番目の創設者であるロン・ウェイン(Ron Wayne)、最初にAppleに投資した人物は、Appleの株を800ドルで売ったため、その契約に入りませんでした(そしてそれはコンピュータ史上最大のもったいない事件として人々に記憶されることになります。。笑)。Appleを殆ど2人のスティーブの個人事業のような状態から会社・企業に変えるために必要な資金と専門知識は、マイク・マークラ(Mike Markkula)という名前の男性によって提供されました。そしてマイク・マークラはApple社の歴史の中で非常に重要な人物になったのです。
【Apple I】でスタートしたAppleは法人ではなかった
Apple自体は1976年4月1日に設立され、1976年7月に初めての製品、【Apple I】を666.66ドルという価格で発売しました。
現在ではその希少性と歴史的価値のために、史上最も高価なパーソナルコンピュータとしてのステータスを持つ【Apple I】ですが、当時は大ヒットには至りませんでした。そしてほぼ全てスティーブ・ウォズニアックによる手作りという小規模な生産体制は、そもそも商品の数量が非常に限られていることを意味しました。更に、【Apple I】そのものは競合他社製品に比べて特に先進的というわけでもなかったのです(現在のAppleとは大違いですね)。
それに加え、当時「パーソナルコンピュータ」は本当にごく少数の愛好家のグループしか興味を持っておらず、非常に市場が小さかったのです。というわけで、Appleのその後の【Apple II】や【Macintosh】、そして最近の【iMac】【iPod】【iPhone】【iPad】等の成功がなければ、【Apple I】というマシンは今日ほぼ忘れ去られていたかもしれません。そのレベルの製品だったのです。
【Apple II】がAppleの成功を呼ぶ
Appleにとって、違いをもたらしたのは2番目の商品【Apple II】でした。Appleにとって初の真のマスマーケット向けコンピュータであった【Apple II】は、キーボードがついていたことやBASIC互換であったこともさることながら、特筆すべきはカラーグラフィックスで動作したことでした。なお、当時【Apple II】ユーザだった方には常識かと思いますが、Appleの2代目のカラーロゴは、【Apple II】で表示できた6色が採用されています(スティーブ・ジョブズはこのロゴ上にある6色の間の境界線に黒い線を入れた方がいいというアドバイスを拒絶し、境界線をなくすこと、またしっかり色分けされていることに非常に拘りました。当時の印刷技術では各色を交わることなくくっきり出すことは非常に難しく、ジョブズは境界線が交わっているような仕上がりの印刷物の受取を拒否したこともあったそうで、俗に最もコストが高かったロゴともいわれています)。
Appleは後に、これらの機能を【Disk II 5 1/4インチフロッピードライブ】のような優れた周辺機器のハードウェアと、各種ゲームから【VisiCalc】のような生産性向上ツールに至るまで、優れたソフトウェア(いわゆるキラーアプリ)で強化しました。
ただし、【Apple II】を製造するには、ジョブズやウォズニアックが当時所有していたよりもはるかに多くのお金が必要でした。そこに、エンジェル投資家のマイク・マークラが登場するのです。
マイク・マークラが重要なガイダンスを提供
フェアチャイルドセミコンダクターとインテルのマーケティングマネージャーとして取得したストックオプションで数百万ドルを稼いだ後、マイク・マークラは32歳でセミリタイヤしていました。そんなマークラに、マーケティングウィズのレジス・マッケナーとベンチャーキャピタリストのドン・バレンタインがスティーブ・ジョブズを紹介したのです。
1976年11月、マークラは、ジョブズとウォズのAppleビジネスプラン作成を支援することに同意しました。彼らは10年以内に5億ドルを売り上げることを目標としていました。
そしてマークラは手持ちの現金の92,000ドルを投資しました。更に、AppleがBank of Americaから25万ドルのクレジットを得るのに協力したのです。
「パソコン革命の英雄たち」によれば、初期からApple社の経営アドバイスを行ってきたマイク・マークラが最初にやったことは、Appleという社名を決定づけたことだとされています。なぜならこの社名なら電話帳で最初に見つけられるから、営業的見地からも利点だと判断したというのです。またマークラは「リンゴが嫌いな人はほとんどいないよ」とも語っていて、つまり多くの人に好かれるブランドになってもらいたいという気持ちが込められていたのかもしれません。ただ、Appleという名前は間違いなくスティーブ・ジョブズによる発案であったようです。
その後、Apple Computerへの事業への組み込みが、1977年1月3日に行われました。Apple Computer Co.は従前のAppleパートナーシップを5,308.96ドルで買収したのです。翌月、Apple Computer社はマイケル・スコット(Michael Scott)を最初のCEOとして招き入れ、会社を管理してもらうことになったのです(ちなみにスコットCEOの給与は、年間26,000ドルでした)。
44年も前の出来事だが法人化はApple IIの成功の鍵になった
というわけで、Appleはその後輝かしい成功と挫折を経験し、一時期倒産しかけますが、その後奇跡的な復活を果たし、そして今や世界最大級の市場価値を持った会社となったのです。しかしそれらは全て、初期の【Apple II】の成功があったからに他なりません。そしてそのマシンの製造のためにはどうしても法人化と銀行からの借り入れが必要だったのです。
44年前といえば私が生まれた頃ですが、その頃からこんなに刺激的なことが行われていたということになります。自分も小学校の頃からMSXが自宅にあり、また外でもPC-88やPC-98など当時主流のパーソナルコンピュータに触れる機会があり、BASICなどの言語を独学で勉強しました(まあ、殆どゲームのためですが。笑)。その頃でもまだパーソナルコンピュータは誰の家にでもあるものではなく、比較的ニッチでしかも高価なものだったと思います。パーソナルコンピュータの一般への普及は、Windows 95やインターネットの登場を待たなければなりませんでした。
記事は以上です。
(記事情報元:Cult of Mac)