スマート家電のブランド”Nest”の創業者トニー・ファデル(Tony Fadell)は、Nestが既にGoogle(現在のAlphabet)に買収されて一グループ企業になったため、Googleの人といえる。しかし彼のもっと有名な肩書きがある。それは【iPodの父】だ。
最近、シリコンバレーフォーラム基金が主催したサロンイベントで、ファデルが15年前にAppleで初代iPodを研究開発した経緯を語っているのでご紹介。
iPodの概念やアイデアの原型は、ファデルがDJをしていた時に感じた問題から端を発している。彼は毎日大量のCDを持ち歩かなくてはいけなかったので、何らかの自動プレイヤーを用意して、そこに大量のCDを入れることができたらいいと考えたのだ。そしてそれが彼がフィリップス(Phillips)を辞職して創業したFuseの主な製品となった。
しかしFuseは成功しなかった。ファデルは当時のことを思い出して、あれは正にインターネットバブルが来る頃で、彼は80数社のベンチャーキャピタルを回ったが、そこで得た回答はこれだった。「我々はソフトしかいらない!ハードなんかいらないんだよ!ハードウェアはもう終わったんだ!」
そう、あのAppleに出会うまでは。
Appleが彼を雇ったのは、iTunesのためにユーザ体験が優れたミュージックプレイヤーデバイスを作りたいと考えていたからだ。当時、AppleのiTunesは既に便利に楽曲を管理できたが、市場で出回っているMP3プレイヤーはユーザ体験(UX)がよくないものばかりだった。
ファデルは8週間の期間の臨時顧問という形でAppleに入った。その頃、Appleの貯金はわずか2.5億ドルしかなく、債務が5億ドルを超えていた。そしてMacのパーソナルコンピュータ業界でのシェアはたった1%しかなかったのだ。
ファデルはジョブズに尋ねた。「私たちに十分なお金と時間をもらえれば、どんなものでもできます。でも問題はあなたはどうやって私に販売と営業のプランを保証するのですか?ソニーを見てください。彼らはあらゆる類いの音楽に関わるジャンルの製品を既に持っています。私たちはどうやって彼らを打ち負かせばいいのでしょう?」
ジョブズの答えはこうだった。「製品を作ってくれれば、私は私の全てのお金を1セントも余さず使って宣伝をしよう。もしMacが飢え死にするとしても、私はそれをやり遂げるよ」
その言葉に打たれたファデルは社外から人材を集め始めた。インタビューの中で、ファデルは開発チームを作らなければならず、そしてそのチームメンバーにはいつ潰れてもおかしくない会社に入ってもらうよう、困難な説得しなければならなかったと語っている。そしてApple内部では、大部分の人が彼らのチームが成功するとは夢にも思っていなかったという。「私たちは一体なんのおもちゃを作ってるんだ?ってね。当時そんなもんだったんだよ」とファデルは回想する。
そして初代iPodのリリース後の1週間目が一番印象に残っているという。なんとファデルは当時ずっと法廷や聴聞会に出席していた。なぜなら、iPodに対する訴訟が相次ぎ、Appleが権利を侵害していると訴えられ続けていたからだ。
「知ってるかい、大勢が君を訴えたとき、それは君が成功したってことなんだよ」と当時の弁護士はファデルにそう語ったという。しかしファデルはそうは思わなかったという。なぜならiPodの前にも彼はあまりにも多くの失敗作を見ていたためだ。「私は成功したいと望んでいたけど、何が成功といえるのかがわからなかったんだ」とファデルは当時のことを振り返っている。
ファデルの眼中にあるiPodの本当の意味での成功とは、その2年半後に彼らがiPodをPCのWindows OSと互換性を持たせるようにしたときのことだったという。
最初、iPodはMacでしか使うことができなかった。ジョブズはiPodを、Macを多く売るためのツールだと考えていたからだ。ジョブズはファデルのチームがiPodをPCと互換性を持たせようとしていると聞いたときに、「おい!私はまだMacを売りたいんだよ。iPodはMacを買うための理由になるじゃないか!」
しかしそのジョブズの固執が、iPodの市場シェアが全く伸びない原因となっていた。その販売台数は実際は少なくて哀れなほどだったのだ。ファデルのチームは辛抱強く、ジョブズにiPodをPCに互換性を持たせるべきだと提案した。そして4回目に、ジョブズはやっと譲歩したという。
2003年、Windowsをサポートした第三世代のiPodがリリースされ、これが最初の大成功を収めたiPodとなった。
これによってファデルが長らく待ち望んでいたビジネス的な成功が訪れ、iPodの販売台数が劇的に増加しただけではなく、Macの販売量もそれにひきずられて増加し始めたのだ。ファデルはiPodはまるで「ドラッグのよう」で、iPodが多くの人に「Apple(りんごとかけている)」を初めて味わわせる役割を果たしたととらえている。
その後のストーリーは、誰もが知っての通りだ。iPodからiPhoneまで、本来は8週間だけの期間限定の臨時顧問としてAppleに入ったファデルは結局10年勤務することになり、全部で18世代ものiPodをリリースし、そしてiPhoneの最初の3世代の製品(初代iPhone、iPhone 3G、iPhone 3GS)のリリースにも関わったのである。
画蛇添足 One more thing…
Appleの成功には当然スティーブ・ジョブズの復帰が大きな要因だが、実際はトニー・ファデルのような人物がいなければ現在のような大成功は考えられなかっただろう。なぜなら彼がいなければ恐らくiPodもiPhoneも、別の形になっていたかもしれないからだ。
トニー・ファデルは現在はGoogle陣営、そしてiPod(iPod Touch)はもうiPhoneに飲み込まれて殆ど青息吐息だ。今やApple MusicやSpotifyなど、音楽はクラウドストリーミングで聞く時代になった。たった15年で、私たちを取り巻く環境は激変してしまった。
Apple社もスティーブ・ジョブズがこの世を去り、スコット・フォーストールも解雇され、Appleのエグゼクティブも大きく変化している。変わらないのは、ジョニー・アイブとフィル・シラーが相変わらずでかい、ということくらいだろうか。。笑
記事は以上。
(記事情報元:FastCompany)