元開発者が明かす「初代iPhoneのヴァーチャルキーボードはスティーブ・ジョブズのハッカーマラソンによる産物だった」

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9to5Macの記事によると、
ニューヨークタイムズ(New York Times)のネット版の昨日の記事で、
フランシスコ・トルマスキー(Francisco Tolmasky)が紹介されている。

Francisco_Tolmasky

この人物はApple(アップル)の初代iPhoneのソフトウェア開発グループの一人で、
現在はモバイルゲーム会社の創業者となっている。
彼は最近ニューヨークタイムズのインタビューで、
初代iPhoneのSafari(サファリ)ブラウザとMaps(マップ)アプリ、
そしてバーチャルキーボードの開発について語っている。

フランシスコ・トルマスキーが20歳の時、
彼はAppleに入社して仕事を開始した。
彼はチャレンジとも言える任務を任された。
その任務とは、初代iPhoneのために機能が豊富なモバイルウェブブラウザを開発することだった。
当時のiPhoneの開発はまだ非常に原始的な段階だったという。

このプロジェクトの過程で、当時AppleのCEOだった故スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)は、
よくトルマスキーと会って、彼に意見やフィードバックをしていたという。
当時のモバイル版Safariの開発についてトルマスキーは、
ジョブズは確かに非常に固執しており、
「これは魔法のようじゃなくてはならないが、今はまだ魔力が足りない!」
というような言い方をして、
彼が当時非常に気が萎えたことを振り返っている。
それはあまりにも達成不可能な任務のように思えたからだ。

しかしトルマスキーは最終的にはその魔法のようなブラウザの開発に協力することに成功した。
モバイル版SafariがWebサイトを閲覧する方式はPC版と完全に同じとなり、
ただディスプレイが小さいだけのものとなった。
その他、Mobile Safariはユーザはキーボードやマウスを使った操作をせずに、
ピンチイン・アウトによるズームイン・アウトや、
スワイプやタップなどの動作にも対応することができるようになった。

iPhoneが販売されメジャーになった後、
Appleの多くの競争相手達が、Webブラウザを搭載したスマートフォンをリリースした。
しかし他のWebブラウザと比べると、
Mobile Safariが当時のスマホ向けウェブデザインに与えた影響は大きかったといえよう。
またこのMobile Safariはその後iPadにも導入されていく。

そんなトルマスキーも今や29歳で、サンフランシスコに住んでおり、
現在はモバイルゲーム業界で独立した起業家となっている。
2007年12月にAppleを退職した後、
トルマスキーは「280 North」という会社を設立した。
同社はあるツールキットをリリースし、
それはデベロッパーがモバイル用Webサイトアプリを開発するのに役立つものだった。
最終的に同社は2,000万ドル(約20億円)でモトローラ(Motorola)に買収されることになる。

francisco-tomolsky

Appleの元社員は自身のAppleでの仕事について明かすことは非常に少ないが、
トルマスキーは最終的にはインタビューに応じ、
彼が木曜日にリリースした「Bonsai Slice」と彼がAppleにいた時の仕事について語った。
彼の語った物語からわかるのは、
Appleが製品の開発をするのはまるで1つの会社を創業するようなものだということだ。

トルマスキーがサウスキャロライナ州のコンピュータサイエンス専攻を卒業する半年前に、
Appleの方から積極的に彼に声をかけてきたという。
Appleの人事採用担当がトルマスキーに語ったところによると、
その理由はトルマスキーが当時規模がまだ大きくなかったWebKitデベロッパー業界の一員だったからだという。
今やWebKitエンジンは現在一般的に各種のブラウザに採用され普及し、
Webサイトの表示に欠かせないものとなっている。

Appleはトルマスキーにすぐ仕事を開始して欲しいことを望んだが、
彼自身は大学卒業にこだわっていた。
彼が2006年Q1で初めて正式にAppleで仕事を開始したとき、
スティーブ・ジョブズは1ヶ月の休暇中だった。
そのためトルマスキーはジョブズが帰ってくるまで仕事の指示を待たなければならなかった。
トルマスキーは「ジョブズは自分のプロジェクトについては非常に慎重だったので、
こんな20歳の若者が本当にできるのか疑っていたようだ」
と振り返っている。

トルマスキーとiPhone開発チームは、
Apple本社の機密エリア内で仕事をしていたという。
この機密プロジェクトは主に2つの部門があり、ハードウェア部門とソフトウェア部門に分かれていたという。
この2つのチームはお互いに接触することはなく、
また直接協力し合うこともなく、
それによって秘密が漏れることを保っていたという。
またジョブズは毎週少なくとも2回は開発チームと会っていたという。

ソフトウェアチームはその後ネットワークチームとアプリチームに分かれた。
トルマスキーが所属するネットワークチームは彼を入れて5名のメンバーで成り立っていた。
最終的にソフトウェアチームがこのようなチーム分けをすることは問題視された、
というのはネットワークチームの一部の人がその後iPhoneアプリ開発に異動したほど、
アプリチームの一部の人はWebサイト技術に依存する人が多かったのだ。

また初代iPhoneの中のアプリに関して、
トルマスキーは「全てのアプリは基本的に殆ど私一人開発して完成させた」と語っている。
ソフトウェアチームの全てのメンバーが共同で初代iPhoneの多くのソフトウェアの要素を開発したが、
それぞれのブロックは彼自身が一人で担当していたという。
トルマスキーは同時に、彼自身がMobile Safariの責任者であったことも明かしている。

iPhone_2G_keyboard

トルマスキーは更に、多くのiPhoneアプリとそのキーとなる機能の開発の仕方について語っている。
彼は、ヴァーチャルキーボード機能はジョブズによって行われたハッカーマラソンによってできたものだとしている。
ジョブズはヴァーチャルキーボードの原形に非常に不満を持っており、
チームの全てのメンバーに1週間以内にヴァーチャルキーボード機能に集中(して成果物を提出)するよう要求した。
そして、トルマスキーのチームの中の1人のエンジニアがその競争に勝ったという。
それ以来、彼の仕事は専らiPhoneのキーボードの開発となった。

トルマスキーはまた初代iPhoneのマップアプリの開発についても語っている。
あまり人に知られていないことだが、
2007年1月のMacWorldイベントの数週間前になって、
ジョブズがiPhoneの中に地図アプリを入れることを決定したという。
トルマスキーはもう一人の同僚クリス・ブルーメンバーグ(Chris Blumenberg)と共に、
この任務を分担していた。
彼はその後昼も夜もなく休みなく仕事をし、
最終的にMacWorldイベントにてジョブズが初めて初代iPhoneを発表する前に、
何とか使用可能なマップアプリを開発することができたという。

トルマスキーは、「ジョブズはマップアプリを1週間以内で開発を進めてほしい、
その2週間後に彼がMacWorldイベントでプレゼンをすると言ったんだ。
これがジョブズが人に与える影響ってやつだ。
これはとても重要なことで、もうそう決まってしまっていて、
あなたはそれを完成させなきゃならないってことだ」

トルマスキーは2007年末にAppleから離職した。
当時iPhoneは既に大きな成功を収めており、
開発グループはますます規模を拡大してきており、
優先される任務についても変化が生じていたという。
チームが以前の会社を創業するような感じではなくなってきたため、
彼はAppleを離れて自分で起業することにしたという。

トルマスキーは現在スマートフォン内部のセンサーに専ら着目しているという。
例えば、加速度センサーやコンパスなどを使ったゲームだ。
彼の会社が開発したゲーム「Bonsai Slice」は5人のチームによって開発された。
このゲームではiPadの近くで手や腕などを動かすと、
ディスプレイ上のヴァーチャルなモノを切ることができる。

一部の人はこのようなゲームによって、
同じ部屋にいる他人に当たったりして負傷したりするのではないかと心配になるようだが、
トルマスキーはそのことについて、
「我々が発見したのは驚くべきことに、
殆どの人がゲーム中に誰か他の人を傷つけるということはないということだ。
結局これは一種のフィットネスアプリになり、
ゲームをやるときあなた自身も非常に慎重になるだろう」
と答えている。

記事は以上。

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