今日のAppleの歴史回顧:手遅れだったApple IIIのアップデート

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37年前の今日、1981年12月1日(米国時間)は、Apple社(当時はApple Computer社)が、それ以前から立ち上げて惨憺たる結果になっていたApple IIIを、ハードウェアの欠陥を修正した上で立ち上げ直した日でした。

AppleIII

しかし残念ながら、Apple IIIの失敗のダメージはあまりに大きく、Apple Computerは初めて自社製品を”放り出す”ことになり、挫折を味わうことになります。本来は、Apple IIのような成功者になるとみられていたのですが。。

Apple III: 全てのことを、みんなに。

Apple III(当時のラベルの表記からApple ///とも書かれる)は本来輝くべき存在でした。Apple IやApple IIのような”手作りプロダクト”ではなく(Apple IとIIはソフト・ハード共にほぼスティーブ・ウォズニアック(Steve Wozniak)たった1人の独力によって設計されたものでした)、Apple IIIは正にApple Computer社という企業組織がその背景にいて製造された正式な量産品だったのです。

当時Apple IIの売れ行きは好調で、その売り上げが下がる兆候もなかったのですが、Appleは必然的にそのアップグレード版を用意し、Apple IIと直接置換えすることを画策することになります。

そして社内ではMacintosh(マッキントッシュ)プロジェクトが初期段階ではありながら進行していましたが、まだまだ先にならないと実現しないと思われていた時期で、全ての目はApple IIIに注がれていました。

プロジェクトのスタートにあたって、かのスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)は、従業員を集めるための募集の言葉として「あなたの決断が、1980年にApple IIIを50000台出荷するための手助けになるでしょう」と書いていました。

AppleIII_PR

Appleは、Apple IIIをビジネス用コンピュータと位置づけていました。IBMがその安価なパーソナルコンピュータをもって、ビジネスユーザさえも魅了していたからです。Appleはそのファンをコンシューマ(ホビイスト)と同様ビジネスユーザ、つまり事務用機器目的にも広げたいと考えていたのです。

しかし残念ながら、そのことによってこのApple IIIが「製作委員会」によって開発されることに繋がり、必要な機能について全ての人が自らのアイデアを盛り込もうとしてしまいました。その結果、プロジェクトの進行は緩慢になり、Appleが本来10ヶ月で開発すると見込んでいたものが2年もかかってしまいます。

“みんながApple IIIが何をすべきかということについて明確なアイデアを持っていました。そして不幸なことにそれらが全て入ってしまったのです”と当時のAppleのエンジニアは皮肉っています。

Apple IIIの仕様(スペック):大切なのは中身だ

さて、Apple IIIのスペックはどうだったかというと、初代のオリジナルApple IIIは2MHzで動作するSynerTek 6502Aプロセッサ、2KBのROM、そして128KBのオンボードRAMが搭載(1981年の再立ち上げモデルではこのRAMは倍の256KBになります)、更に4つの周辺機器接続用ポートがついていました。そして、Appleとして初めて5.25インチ(俗称5インチ)フロッピーディスクドライブが搭載されたのです。

そんなApple IIIはApple IIの2倍の速度で動作しました。

しかし一般的にも知られているように、Apple IIIの問題は、皮肉にも”Apple SOS”と呼ばれるオペレーティングシステム(OS)によってもたらされました。Appleにとっては、このOSは洗煉されたオペレーティングシステムということでしたが、実際はApple IIの後期型に搭載されていたProDOSの影響を強く受けた上で発展させたものでした。

不幸なことに、1980年の秋にリリースされたApple IIIは成功に至りませんでした。なぜなら、当時の主流だったDOS 3.2と3.3と互換性がなかったため、使えるソフトが非常に限られていたからです。Apple IIで動くソフトもApple IIIでは使えませんでした。これはAppleがわざと制限をかけていたためです。

そして更に深刻な問題として、マザーボードがオーバーヒートして、ボード上のチップが壊れるという不具合が発生したのです。

その他の問題もあわせて、Apple IIIは販売後にユーザからは散々な評価を受け、市場でも悪評が広がってしまったのです。

新しく、少しだけアップデートされたApple IIIが登場、しかし挽回はできなかった

そして本日のAppleの歴史をしのぶ意味での、Apple IIIの修正版が1981年12月1日(日本時間12月2日)にリリースされます。そこにはアップデートされたスペックと新しいソフトウェアが搭載されていました。Appleは更に、ProFile 5Megという外付けハードディスクドライブもリリースしますが、Apple IIIの再立ち上げはそれほどのインパクトを与えられず失敗に終わります。

ただ、当時のApple IIIはこの改良版が出たことで最も幸運だったかもしれません。2000人ほどの初期版Apple IIIのユーザが、問題があまりにも多かったため、無料でアップグレードの恩恵にあずかったからです。

最終的に、Apple IIIは更にアップグレードを加えられ、Apple III Plusとしてリリースされます(最近のiPhone 6 PlusからiPhone 8 Plusまで続いた”Plus”の名称はここから来ています)。そしてその頃になるとApple IIIとApple Lisaの2種類の異なった製品ラインがAppleにとって事務用機器に入り込む試みとなったのですが、結局この2つの製品ラインの失敗によって、この世代ではAppleは事務用としては日の目を見ることがなくなってしまいます。

Apple IIIの失敗の原因とは

結果的に、非常に安価なIBMのPCやDOS互換機に市場を奪われることになってしまったApple。当時もしApple IIIの価格がそれほど高くなかったしても、やはり放熱性の問題で部品が焼けてしまうほどのハードウェア的トラブルや、意図的にApple IIとの直接置き換えを狙ったことから互換性を制限したことでソフトウェアの大きな制限があったことから、ゲームチェンジャーたり得なかったのではないかと考えられます。Apple IIもその後アップデートされて生存を続けますが、Apple IIIとの差別化のためにわざわざRAMメモリ容量に制限のあるチップを採用するなど機能を制限したことから、人気が落ちていきます。Appleは結局どちらの顧客も失ってしまったわけですね。

スティーブ・ウォズニアックは、Apple IIIの失敗は技術者的観点よりも、営業・販売的な観点が優先されて開発されたことが原因だったと指摘しています。他にも、ハードウェア的な開発の失敗は、1つはスティーブ・ジョブズが騒音を嫌って静音性に拘りすぎ、放熱ファンをつけさせなかったことから放熱性に問題が発生したことです。放熱ファンがつけられないことから筐体全体を使って放熱をするためにアルミ筐体が採用されたのですが、当時の技術では加工にあまりに時間がかかりすぎ、筐体の開発が終了するまで基板(マザーボード)の開発ができず、筐体が完成したところ基板に割けるスペースが求められているスペックに対してあまりに小さすぎたため、基板上のプリントパターンの幅を狭めなければならず、またそれも当時の未熟な技術では無理があり、多くのはんだブリッジが形成されることでショートサーキットが発生し、発熱と不具合が発生したのです。結果、部品が暴走して意味不明な表示がされたり、フロッピーディスクが物理的に溶けるというような現象が発生し、悪評が広がってしまったのです。

あまりにとんがった思想も時には大事ですが、実際の製造に落とし込めないと失敗するいうことを体現したようなデバイスがApple IIIでした。そしてスティーブ・ジョブズの熱狂的なファンを抱えたAppleといえども、一度落とした評判を挽回するのは難しかったのです。

今でもまことしやかに語り継がれている「Appleは初物に注意」という格言はこのApple IIIから始まったのかもしれません。笑

Apple IIIの存在意義と功績。。ちょっとだけですが

ただ、Apple IIIの失敗は全く意味がなかったかというとそうでもありません。Apple III用のApple SOSで構想された、階層化されたファイルシステムは、後のMacintoshに引き継がれ、つい最近まで改良されて使用されていたファイルシステム”HFS”に繋がります。このファイルシステムの構想はIBM PCにも影響を与えることになります。

記事は以上です。

(記事情報元:Cult of Mac

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