Appleにとって、7月7日は記念すべき日だ。
なぜなら、19年前の7月7日は、Appleの共同創業者のスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)が「王者の帰還」のシナリオを書き始めた日だからだ。1997年7月7日、AppleのCEOになって1年しか経っていなかったギル・アメリオ(Gil Amelio)がCEOの地位から引きずり下ろされ、NeXTがAppleに買収されたことでAppleに戻ってきたスティーブ・ジョブズがその地位に返り咲き、Appleの最大の管理権を持った人になった。
Appleはどうやって倒産寸前の酷い状態から、世界で最も市場価値の高い会社になったのだろうか?もちろんいくつかの原因が考えられるだろうが、スティーブ・ジョブズの帰還がその境界点であったことは誰もが疑う余地のない事実だろう。世間ではCEOになることが人生の最高の瞬間だといわれているが、しかしジョブズがそのCEOの地位を引き継いだ時、会社の状態はまるで本当に”腐りきったリンゴ”のようだった。
会社の資金はあと3ヶ月しか持たないほどしか残っておらず、もしAppleがその間に何もできなかったら、3ヶ月後には破産宣告をしなければならなかった。
AppleのCEOを継いだ後、ジョブズがまず初めて行った”一大事”は、従業員のストックオプションの価格を見直したことだった。1997年7月7日の株式市場で、Appleの株価はたったの13.81米ドルだったのだ。ジョブズのこのやり方は喝采を浴びた。なぜならこれはジョブズ自身が会社の運命を大転換させることへの自信の表れであり、また同時に従業員のストックオプションに全く価値がなかった状態から抜け出し、従業員のモチベーションが上がるからだ。
ただ、当時のAppleの取締役会は、ジョブズのストックオプションの値付け変更について、不支持を示していた。しかしそれに対するジョブズの返答は非常に覇気に満ちていた。「もし私のやり方に同意しないのであれば、君たち(取締役会メンバー)は会社を離れた方がいい」。
そしてすぐにジョブズは取締役会の大入れ替えを行い、オラクル(Oracle)の創始者ラリー・エリソン(Larry Ellison)やインテル(Intel)の前CFOのジェリー・ヨーク(Jerry York)等の人をAppleの取締役会メンバーに引き入れた。
そしてその後の奇跡的なAppleの復活と大躍進は、皆さんもご存じの通りだ。支出の節約のため、ジョブズはAppleの製品ラインをシンプルにし、多くの製品の開発製造と販売を停止させた。1998年にはPC産業界を震撼させる一体型パソコンのiMacを発表し、Appleの二度目の春はここから始まった。その後、iPod・iPhone・iPadとヒット商品が生み出されたおかげでAppleは世界最高の市場価値を持った会社にまで登り詰めたのだ。
しかし実は1997年にAppleに戻ってきたジョブズの職位は、「暫定CEO」だった。ジョブズのこの身分は2000年になって初めて変わることになる。その頃には彼は既にAppleの上からも下からも認められる、「永遠のCEO」となっていたのだった。
画蛇添足 One more thing…
5年近く前の2011年に亡くなってしまったスティーブ・ジョブズだが、今でも多くの人の心の中で、Appleの永遠のCEOとはやはりジョブズのことだろう。
※最近香港・深圳への移動のため、記事が全くタイムリーではなくなってしまって申し訳ない。
記事は以上。
(記事情報元:WeiPhone)