本日のAppleの歴史:iMac G3がAppleの救世主となるべく登場

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22年前の1998年8月15日(日本時間8月16日)は、Appleにとって救世主となるべく、スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)復帰後初の主要プロジェクトとして開発された、インターネット対応が前面に打ち出された新製品「iMac G3」がリリースされた日です。

この「iMac G3」は正に、今ではとても考えられませんが当時瀕死の状態だったAppleを救世主として救った大ヒット製品になったばかりではなく、スティーブ・ジョブズをテクノロジーの先見の明があることを世界に知らしめ、ジョブズ死後には大きな遺産として記録されることになります。また、既にAppleを退職していますが、デザイナーのジョニー・アイブ(Jony Ive)がこれによって鮮烈なデビューを果たし、そのデザインの才能を世界中にアピールした作品でもありました。

iMac G3:別の惑星から来たコンピュータ

ベージュのボックスから、まるで海のような色のそのiMac G3は姿を現しました。

「それは別の惑星からのもののように見えます」とジョブズは当時言いました。「よい惑星、より優れたデザイナーがいる惑星から。」

Steve Jobs Jony Ive スティーブ・ジョブズ ジョニー・アイブ

言わずもがな、そのデザイナーとは、ジョニー・アイブのことです。その時点で、アイブはAppleで数年間働いていました。ちなみに彼が入社後最初に担当したプロジェクトの1つは、Newton MessagePad製品ラインでしたが、iMac G3はアイブの創造性を最も純粋に表現したものでした。iMacはまた、ジョブズとアイブの絆を効果的に形成し、その絆は2011年にジョブズが亡くなるまで続いたのです。

iMac G3は当初、海のような緑のボンダイブルー(オーストラリアのビーチの水の色にちなんで名付けられました)のみが出荷されました。その後このiMac G3の成功によって製品ラインは拡大し、幅広い色とパターンが含まれるようになりました。しかし今見るとかなり大きめに作られていますよね。。今のMacは全てがシンプルに、できるだけ小さく作られているのとは対照的です。

半透明で可塑化されたデザインは、少しレトロでありつつ、実は信じられないほど未来的であることに皆驚かされたのです。人々は1960年代の懐かしさを求めていましたが、それと同時にその後訪れるミレニアム(2000年)を心待ちにしていた、そんな時期に非常にマッチしたデザインが秀逸で理に適っていたといえるのでしょう。ヒットした理由は何とでも後付けできますが。。

iMac G3はインターネットのために作られた

仕様の面では、初代iMac G3は233 MHz PowerPC 750(G3)プロセッサ、32 MB RAM、4GB EIDEハードドライブを搭載し、2MBのVRAMを搭載したATI Rage IIcグラフィックスまたは6MBのVRAMを搭載したATI Rage Pro Turboグラフィックスをオプションで選択できました。

事実、技術スペック的には、これはAppleが過去に販売した製品や、他の企業が販売していた製品と比べて大規模なアップグレードといえるものではありませんでした。iMacがAppleの従来製品や他社製品と最も異なっていたこと。。それは、インターネット用のコンピュータとして設計されていることでした。例えば、iMacには内蔵の電話モデムが付属していました。ほとんどのコンピュータがオプションの追加機能としてのみ電話モデムを用意していた時代にです。また、新しいiMacを最初に起動してから数分以内に、WWW(ワールドワイドウェブ)にアクセスできることも約束されていました。

Appleは発売前にiMacの予約注文を150,000件も取り付けました。そしてこの予約注文の活況によって、Appleの株価は1株あたり40ドルを超えました。これは当時過去3年間で最高値だったのです。そしてiMac G3は、1億ドルという健全な広告予算の恩恵も受けました。同社のPR部門は、これがAppleの歴史の中で最大のコンピュータの発売になる、と人々に語ったのです(まあ、最近はiPhoneの各世代のPRでもこれまでで最大のアップデートかよく言ってますけどね)。

iMac G3の最初の評判は芳しくなかった

今でこそ、iMac G3がAppleに与えたあまりに重要なターニングポイントに思いを馳せれば馳せるほど、iMac G3はどれだけ素晴らしいコンピュータだったかを語ることはできますが、実は初代iMac G3の最も驚くべき点は、発売当時その評判が芳しくなく、多くの否定的なレビューが書かれてしまったことです。

当時、「iMacは真の信者の一部にしか販売されません」とThe Boston Globe(ボストングローブ)がレビューで超辛口に書いています。「iMacには、ファイルのバックアップやデータの共有を行うためのフロッピーディスクドライブが含まれていません。これがよりよい(Better)を学んだはずのスティーブ・ジョブズによってリリースされてきたというのは驚くべきことでしょう。iMacはクリーンでエレガントで、フロッピーフリーで、、、失敗が運命づけられています。」

他のレビューでは、Windowsとの互換性の欠如(=これはソフトウェアの欠如の可能性)について不満がありました。また、新しいマシンのコストは以前の多くのAppleが販売したコンピュータよりもかなり安いはずにもかかわらず、iMac G3が比較的高い値付けであったことを多くの人が指摘したのです。

まあ、これらの評価は今考えるとそこまで当たっていなかったかもしれません。フロッピーディスクなどのレガシーな技術の切り捨ては、これまでAppleがCD/DVDドライブの廃止や様々なポートの廃止などを果敢に行ってきたように、Appleとしては結構普通のことになりました。

しかしこのiMac G3に対する最も正当な批判は、やはりあのひどい「ホッケーパック」マウスに向けられたものでした。これは、Appleのデザインスタジオ内で、製品のフォルムの重要性が機能よりも優先された時に何が起こるかを完全に示した好例といえるのではないでしょうか。

iMac G3からiBookへ、、そしてAppleは成功の道を歩む

。。とはいえ、今では誰もが知っているとおり、このiMac G3は大成功を収めたのは事実です。Appleはすぐに当時のデザイン賞を総なめにした「デザイン言語」と「インターネットコンピュータ」というフォーカスを利用し、翌年1999年に発売された、新しいクラムシェルiBookラップトップコンピュータを開発し、成功に繋げていくのです。

当時のiMac G3をお持ちの方はいらっしゃるでしょうか?ぜひ思い出を聞かせてください。私は当時Windowsに浮気していて、SONYの505EXにぞっこんでした。。すみません。

記事は以上です。

(記事情報元:Cult of Mac

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