今日のAppleの歴史:初めてAppleの小売店(Apple Storeではない)が誕生した日

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43年前の今日、12月8日(米国現地時間、日本時間12月9日)は、サンフランシスコのベイエリアで起業家のポール・テレル(Paul Terrell)がByte Shopというお店をオープンした日です。そしてこのByte Shopこそが、世界で初めてのコンピュータを一般的に販売した店舗となり、そして初めてApple(当時のApple Computer Inc.)のコンピュータを販売した店となったのです。

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ポール・テレル(Paul Terrel)。写真:NextShark/Paul Terrel

1年前からAppleは自社の小売店を持ちたいという構想はありました。そしてByte Shopでは50台のApple I(Apple 1、Appleによる初めての製品)を在庫して販売していました。Apple Iは当時共同創業者のスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)とスティーブ・ウォズニアック(Steve Wozniak)のいわゆる”2人のスティーブ”の手によって手作業で組み立てられていたのです。

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1977年、Apple IIを笑顔で操作するスティーブ・ジョブズ(右)とスティーブ・ウォズニアック(左)。

今日では、コンピュータを店舗で売るというのはごく当たり前のことになっています。しかもコンピュータショップの店舗は非常に目に付くようにできていてとても清潔で、ラグジュアリーでとてもいい感じのレイアウトになっています。そしてその中でも最も利益を出しているのが、現在のApple Storeです(しかもApple Storeの坪効率は宝石店のそれを上回るすさまじいものです)。

しかしそれが1970年代となると、そう簡単ではありませんでした。当時、パーソナルコンピュータというものはギークなオタクのための製品で(当時ギークやオタクと言う言葉もありませんでしたが)、バラバラのキットになって販売されているのが普通でした。前出のApple IとApple IIの設計を基本的にすべて独力で成し遂げた偉人、スティーブ・ウォズニアック(以下ウォズ)は、まだ萌芽期にあったAppleのコンピュータ(Apple I)を、誰もが自分自身で組み立てられるレベルのものにしようと考えていたのです。

Byte Shop:天才による行動

ポール・テレルは正に”Think different”の人でした。彼のビジネスだったRadio Shackを模倣し、初めてのByte Shopをカリフォルニア州マウンテンビュー(Mountain View)に、1975年にオープンします。そして翌年の1976年の終わりには、このByte Shopはなんと58店舗まで拡大するという大成功を収めます。

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しかし運悪く、彼はその年に問題を抱えてしまいます。当時のポピュラーなパーソナルコンピュータはAltair 8800でした。このAltair 8800は、当時のパーソナルコンピュータの駆け出しのような存在で、当時の世代のコンピュータ専門家たちをインスパイアしたものでした。

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MITS Altair8800

テレルの成功は、Altairによって彼が独立したセールスマンとなり、初めての実店舗を出す確信をもたせるにいたりました。しかし、彼は他のコンピュータも在庫すると決定したために、Altairの製造・販売元のMITSはテレルからAltair8800の販売代理権を引いてしまったのです。

Apple Iによるチャンス到来

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Apple Computerの初めての製品、Apple I。といっても実際にAppleが販売したのは基板のみで、ディスプレイ・電源・キーボード・カセットレコーダーは別売りでした。写真:Auction Team Breker

テレルが自分で売れるコンピュータを探すにつれ、かのスティーブ・ジョブズに出会います。ジョブズ自身が店に入ってきて、Apple Iが売れるか試してみたいと言ってきたのです。テレルは当時のサンフランシスコベイエリアで、世界最先端のコンピュータオタク(ホビイスト)が定期的に集まっていた「ホームブリュー・コンピュータ・クラブ(Homebrew Computer Club)」を通じてジョブズの存在は知っていましたが、一度も直接話したことはなかったそうです。

最初は、テレルはApple Iが売れる確信が持てなかったといいます。しかし、彼はジョブズが非常に熱心であることに気付きます。そしてApple Iが確かに機能的なコンピュータで、当時多数あった機能的なマシンの一連の1つであることがわかりました。

しかしテレルは、ジョブズの提案するApple Iをキットとして販売する方法を拒否し、もっとメインストリームな形で売る、つまり、人々は完全に組み上がった形のマシンが買いたいんだという信念をジョブズに伝えて説得します。

ジョブズはその意見を聞いて、同意しました。テレルは50台のApple Iを1台500ドルで買うと持ちかけます。ただし、先払いはなしで、製品到着後に支払うとしたのです。

そしてテレルは500ドルで仕入れたApple Iを666.66ドルで販売します。現在の貨幣価値に直すと、2800ドル(約31万5600円)程度です。彼の店「Byte Shop」でApple Iを購入し、保管していた人はラッキーでした。生き残ったApple Iは動かないものも含めて数百から数千ドルの価値で売れるからです(現在でも動作するものは手で数えるほどしか残っていませんが、完全動作品はオークションに出品されると数千万円の価値がつくこともあります)。

ポール・テレル:Appleに大きな影響を与えた

これまでのテック業界の歴史を見れば明らかなように、誰もが自分のコンピュータを自身で組み立てたいと思っているわけではないのは明白です。テレルのApple Iを完全に組み上がった形で売るという主張は、Appleとその後のPC産業全体の方向性に大きな影響を与えました。

その中でもApple Iは箱から出した状態では何もできず、電源ユニットとキーボードとモニタを繋がなければならなかったのですが、それでも当時ではある程度組み上がったコンピュータであったのです。しかしテレルの考え方は、明らかに次の世代のApple IIに活かされます。その結果、Apple IIは世界で初めてのオールインワン型パーソナルコンピュータとして、コンピュータ専門家と共に一般的な消費者をターゲットに販売され、大成功を収めるのです。

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Apple II。このコンピュータの成功が、Apple Computerの名を世界に知らしめ、スティーブ・ジョブズを時の人にする
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Apple IIはロングラン製品となり、アップデートと改良を続けながら販売が続けられた。そう、このApple IIcのように。

このようにテレルはAppleの歴史において非常に重要な役割を果たしたことについて、ウォズは彼のことを「4人目のApple創業者」と呼んで評価しているほどです。ちなみにテレルの他の3人は、2人のスティーブことジョブズとウォズ、そして初期の投資家だったロン・ウェイン(Ron Wayne)であることはいうまでもありません。

テレルはByte Shopを1977年にチェーン展開します。彼のパーソナルコンピュータ産業に与えた影響はこれに留まらず、その後ComputerManiaという会社を設立し、パーソナルコンピュータのソフトとハードのレンタルビジネスモデルの先駆者にもなりました。

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Apple II フォーエバー!左からポール・テレル、ジョン・スカリー元Apple CEO、そしてスティーブ・ウォズニアック

パーソナルコンピュータのソフトやハードのレンタルの発想は、確かにその後暫くは成功しなかったかもしれませんが、その後Apple Musicのようなストリーミングサービスに繋がったと考えれば、やはりその影響は非常に大きいといえます。

いずれにせよ、ポール・テレルがいなければ今日のAppleはなく、今のAppleやMac・iPhone・iPadやそれに付随するサービスがあるのもポール・テレルがいたからこそともいえます。そしてテレルの店舗に対するこだわりは、スティーブ・ジョブズの発案による直営小売店Apple Storeの出店にも繋がったはずです。Appleファンとしては感謝しかないですよね。

そして最後に、43年前の今日、Byte Shopはポール・テレルの誕生日にオープンしました。つまり、今日はポール・テレルの誕生日でもあるのです。Happy Birthday!

記事は以上です。

(記事情報元:Cult of MacNextShark

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