Appleのガレージ起業は神話化しすぎ?ウォズがApple創業当時のApple I開発秘話を語る

  • ブックマーク
  • Feedly
  • -
    コピー

Apple(アップル)社の共同創業者のスティーブ・ウォズニアック(Steve Wozniak、Woz、以下ウォズ)は木曜日にBusinessweekの取材を受け、かつてスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs、以下ジョブズ)と一緒にApple Iを設計した頃の情景について率直に語っている。この記事はSina.comによる。

woz-jobs_Apple
Apple Iは世界で初めてのキーボードとディスプレイを一体化したコンピュータで、販売価格は666.66米ドル、しかし販売台数は100台程度だった。Apple Iはウォズとジョブズが、ジョブズの自宅のガレージで製造して完成させたことは有名な話で、現在地球上で最も大きな企業が小さなガレージから起業したことが半ば伝説や神話となりかけている。

しかしウォズは取材の中で、その神話化しているガレージで全てが生まれたことについてはっきりと否定している。

Businessweekのウォズへの取材記事の抜粋

以下がBusinessweekのウォズへの取材の内容の日本語訳とその抜粋だ。

Businessweek(以下B):あなたは革命が起こったのを見たと言いましたが、ジョブズもそのように捉えていましたか?

ウォズ(以下W):彼はいつも、世界の発展を推し進められる人になりたいと語っていた。ただ彼は僕と違って、実際にものをデザインしたり製造して創りだすようなことはできなかったんだ。家庭の一般ユーザのコンピュータへの需要は、彼のアイデアは全くこれっぽっちも必要なかった。

B:ウォズ、あなたは人とぶつかることが嫌いだと言っていましたね。ジョブズはどうでしたか?

W:彼は徹頭徹尾、自分の地位を強大にし、誰もが彼の言うことを聞くことを確保しようとしていた。幸いなことに彼は理知的で、よく小さな意見を出した。そしてその殆どが正しいものだったんだ。

B:あなたは何台のコンピュータを売りましたか?

W:僕らは100台くらいしかApple Iを売っていない。Apple IIについては、最初の1年で数千台売った。その後僕らはあるデジタルの表計算ソフトを設計して(注:VisiCalcのこと)、とある1つの小さな会社がペンと紙で10年かかる作業をたった1時間で終わらせることができるようにしたんだ。その後コンピュータの販売数量はますます増加して、5年後には我々は100万台を売っていた。世界で初めて100万台を売ったコンピュータになったんだよ。

B:Appleがここまで大きなテクノロジー企業になることを想像していましたか?

W:起業した時、コンピュータが世界のどんなものをも遥かに超える存在になることは意識していたよ。私達は自分たちが一種の革命を行ったことも知っていたし、Appleの全ての従業員一人ひとりが、これは彼らの一生の中で最も偉大なことだということを知っていたんじゃないかな。

B:Apple Iを開発したあの夏のことを語ってもらえませんか?

W:僕は完全に、革命が来ること、そしてその革命を担うことができるコンピュータを持つことができることを意識していたよ。Apple Iが誕生する前、どのコンピュータのデザインもみんなひどいものだったし、コンピュータの専門家じゃないと全くわからないものだった。でもAppleは初めてのキーボードとディスプレイを備えたコンピュータだった。キーボードを叩けば、叩いた文字がディスプレイにすぐ表示されるんだ。これは1つの歴史の転換点だった。

B:それらの作業はどこで行われたのですか?

W:ハンダ付けやチップの取り付け、デザインや最初の図面書きなど、これらの作業は僕はヒューレット・パッカード(HP、当時ウォズはHPで勤務していた)の小さなベッドルームで行っていたんだ。信じられないような時間を過ごしたよ、あんなに多くのプロジェクトをこなすチャンスがあったんだから。あれは僕がApple Iを作り出す5年前くらいだった。

B:私達はそれらの作業がガレージで行われたとよく聞くのですが、そうなのですか?

W:ガレージはちょっと神話になりすぎちゃっているね。私達は確かにあそこでデザインもしたけど、基板やプロトタイプ、製品戦略などはあそこでやったんじゃないし、あそこで生産も行っていない。実はガレージはそんなに重要な役割を持っていなくて、僕らに時々家に帰ったなあという感じを思い出させるだけなんだ。あの頃僕らは金がなかったから、いつも外で金を稼がなきゃならなかったからね。

画蛇添足:ウォズのインタビューから学べること

上記のインタビュー内容で、Appleファンの間でも神話や伝説として語られているガレージ起業が実はかなり誇張されて伝わっていることがわかる。
実際のApple Iはウォズがまだヒューレット・パッカードにいた頃から5年もかけて設計など試行錯誤をして生み出され、その製造はあのガレージで行われたものではなく、ガレージは単にオフィス=事務所で、集合する場所であったことがわかる。

5年という時間は現在のテクノロジーの発展からすれば非常に長い時間だが、革命を起こすにはやはり長い準備期間が必要なのだと感じる。

Appleが成功した後、会社は複雑化した。ウォズはその後自らAppleを去り、ジョブズは自分が作ったAppleを追い出され、そして低迷したAppleに戻ってまた何回も奇跡を起こしてAppleを世界一の企業にすることに成功したが、健康を害して56歳という若さでこの世を去った。
ジョブズの成功にウォズは欠かせなかったが、ウォズはAppleに戻ることはなかった。

AppleのスタートであったApple I、そしてそれを受けて開発されディスプレイとキーボードが一体化され最終的に500万台が売れてAppleを爆発的な大成功に導いたApple IIが、基本的にほぼウォズ一人の手で独力で開発されたことは現在でも有名な話だが、ウォズという稀代の天才はジョブズのような莫大な財産を得るということはなく、得た金を飛行機を買ったりロックフェスティバルでアーティストのギャラに全部使ってしまうなど自分の好きなことに使った。現在でも彼は世界一の企業の共同創業者としては裕福ではないかもしれないが、世界に革命を起こした偉人として、そしてその温和な性格から多くの人から慕われている。

成功の陰で人間の役割というものは色々あり、それぞれ得るものも違う。では、自分はどのように動くべきだろうか?

多くのことを考えさせられるインタビュー内容だった。

記事は以上。

Visited 603 times, 1 visit(s) today
  • ブックマーク
  • Feedly
  • -
    コピー

この記事を書いた人