1977年の12月25日(米国現地時間、日本時間12月26日):Appleの共同創業者の一人、スティーブ・ウォズニアック(Steve Woziniak、以下ウォズ)がクリスマスなどのホリデーを返上して働いて完成させたある製品のプロトタイプが、後にAppleに大成功をもたらしました。
「あれが終わるまで、昼も夜も、クリスマスから新年までぶっ通しまで働いたね」とウォズは自伝のiWozで振り返っています。「僕とスティーブ(スティーブ・ジョブズ)が卒業したHomestead高校(カリフォルニア州クパチーノにある高校)に通っていたランディ・ウィギントン(Randy Wiggington)がこのプロジェクトで大いに助けになったよ」とも。そしてウィギントンは12月25日だけはオフにしました。でも、ウォズはオフにしませんでした。
ウォズにとっての最高の年の暮れ。。
1977年は、ウォズにとっては素晴らしい年でした。彼のキャリアの中で、クリエイティブに関しては絶頂の年だったといえるでしょう。その年は、まずAppleが公式にApple Computer Co.として1月に登記されたことから始まりました。スティーブ・ジョブズと共に、ウォズもその共同創業者の一人となるのです。
ベンチャーファンドを背景に持っていたAppleは、同年4月にサンフランシスコのベイエリアで行われた世界で初めてのパーソナルコンピュータコンベンションであった”ウェストコースト・コンピュータ・フェア(West Coast Computer Faire)”にて、2世代目のパーソナルコンピュータ『Apple II』をデビューさせます。そしてこのApple IIはその2ヶ月後の6月から販売開始されました。当時Apple IIはベースユニットだけで$1,298ドルという値付けでした。現在の貨幣価値に直すと、$5,237ドル(約57万8,500円程度)にもなります。現在のiMac Proの最低スペック並の価格だったわけですね。
Apple IIは成功を収め、初年度で77万ドルの収入をAppleにもたらします。しかし、当時オプションとしてつけられていたDisk IIの重要性は、今の人達には理解されにくいかもしれません。このDisk IIによって、コンピュータのストレージの問題が解決されたのです。当時、非常に遅かった記憶媒体のカセットテープに代わって、非常に便利にプログラムやデータにアクセスできる手段として、フロッピーディスクは重宝されていたのです。
フロッピーディスクは当時、比較的新しい技術でした。1970年代はじめにIBMによって発明された技術で、最初のオリジナルフロッピーディスクは8インチのサイズでした。その後、5.25インチ(俗称5インチ)のサイズに小さくなったのが1976年で、それはShugart Associatesによって成し遂げられました。
Disk IIのタイトな納期
Appleへの最初の投資家であって、後に2代目のCEOとなったマイク・マークラ(Mike Markkula)は、ウォズに対し「Apple IIにディスクドライブをつけるべきだ」と提案します。このディスクドライブは消費者、特に単にコンピュータを持っているだけで楽しめるギークではなく、正当な理由でコンピュータを買う消費者にとって、Apple IIをなくてはならないものにするためだと主張したのです。
ウォズはその言葉に触発されたこともあり、クリスマスも休まずディスクドライブを完成させます。なぜなら、彼はこれを1月のCES(Consumer Electronics Show)に間に合わせたかったからです。ウォズが主にハードウェアを開発し、冒頭に登場したウィギントンがDisk IIに必要なソフトウェアの開発に当たりました。
ウォズとウィギントンの頑張りもあり、最終的には、Disk IIのプロトタイプは”〆切”に間に合うことになります。そしてDisk IIの量産品の販売はその後6月から開始されます。Appleにとって、Disk IIは不当ともいえるほど利益率が高い製品となりました。部品代はたった140ドルなのに対し、販売価格は595ドルに設定されていたからです。しかしこんな価格のDisk IIでも、当時のコンピュータメーカーが販売していたフロッピーディスクドライブの中では、最も手頃な価格なドライブでした。他社がいかにボロ儲けしていたかがわかりますね。
Disk IIによってもたらされたApple IIの大成功
そしてこのDisk IIのおかげもあってApple IIはバカ売れし、Appleには1978年に790万ドルがもたらされ、その次の1979年には4900万ドルという大金をもたらすことになります。ウォズは1977年のクリスマスは働かざるを得ませんでしたが、その後のクリスマスには消費に回れるほど余裕があったでしょう。
Disk IIのもう一人の功労者・ランディ・ウィギントンの意外なその後
Disk IIのソフトウェアコードを書いたウォズの他のもう一人の立役者、ランディ・ウィギントン。彼は6人目のエンジニアとしてAppleに入社した伝説的な人物です。
彼はその後様々な経歴を経て、Googleに入社します。しかしなんと、2010年にGoogle Payの立ち上げのニュースを外部にリークしてしまったことから、GoogleをクビになったというニュースがGeek.comによって報じられています。
スタートアップ・ベンチャー企業の成功は少数精鋭の時間を犠牲にした努力によってもたらされる?
実際、Apple II自体はスティーブ・ウォズニアックほぼ一人による開発と設計でした。そしてDisk IIもウォズとウィギントンの二人で作られたのです。そしてスティーブ・ジョブズの商才によって、Apple IIはセンセーショナルに販売され、大成功を収めます。当時のAppleは、そんな天才たち数人の個人的な能力と、そして彼らが寝る間も惜しんで仕事をすることで大成功した、ということになります。まさにスタートアップ・ベンチャー企業のサクセスストーリーを地でいっていた感じですね。
記事は以上です。
(記事情報元:Cult of Mac)