16年前、2003年の今日(日本時間11月30日)、Appleは初めての米国外の直営店を開店させました。さて、それは、どこだったでしょうか?
答えはご存じの方も多いかもしれませんが。。そう、日本の東京、あのApple銀座(当時はApple Store 銀座)だったのです。あの超一等地に開かれたApple Storeは当時相当話題を呼び、オープン初日には、数千人ものAppleファン達が、雨の中大行列を作ってオープニングを待っていました。
当時まだ健在だった、Appleの共同創業者のスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)は残念ながらそこには現れませんでしたが、当時のアップルジャパンの原田泳幸社長が歓迎のスピーチを行いました。2003年ですから、当然まだiPhoneはリリースされていません。あのボンダイブルーのiMacと、より薄くなった第3世代のiPod(iPod Classic)が全盛期の頃でした。ちなみに私は第3世代と第5世代のiPodを使っていました。
銀座という場所によって、ファッション企業であることもアピール
日本の店舗の場所から、Appleは単なるハイテク企業ではなく、ファッション企業でもあることがアピールされました。今でこそ、Apple直営店はその国のその都市の一番オシャレな場所に出店するのが当たり前になっていますが、2003年の段階ではまだそうではなかったのです。
そのため、Appleは本来コンピュータ企業が日本で旗艦店をオープンするとすれば真っ先に候補となる世界屈指の電気街、東京の秋葉原に出店するのではないかという予測を退け、銀座という世界でも最先端のファッションストリートに店舗をオープンさせたのでした。そんなわけでAppleはDior、GUCCI、LOUIS VUITTON、PRADA、FENDI、Cartierなどの世界でも超一流ブランドのすぐ近くに店舗を構えることになり、それらのブランドと肩を並べていると日本の人々に認識させることに成功したのです。
銀座のApple Storeのオープンを待つ行列の中のある一人が、同店のオープニングを東京ディズニーランドのオープンに例えたのが印象的でした。日本文化と、純粋なアメリカ文化の魅力的な融合だとされたのです。
「通常、日本に新しい店舗がオープンすると、店員はお辞儀をして顧客を歓迎します。」と東京を拠点とする著名なITジャーナリスト・コンサルタントの林信之氏は、彼自身のブログに英語で書いています。「しかし、これはApple Storeには当てはまりませんでした。店のスタッフは、拍手、歓声、ハイタッチで顧客を歓迎していました。新しい店舗のグランドオープンをいくつか見ましたが、この種の興奮を見せたオープンは他にありませんでした。」冒頭には、まるでロックコンサートのようだったとしていますが、それも言い得て妙ですね。
米国でのApple Storeの出店では慣習となっていたとおり、Apple Store銀座への最初の来客にも、イベントを記念してTシャツが配られました。しかしApple Store銀座の待ち行列は予想以上に長かったため、通常設定されていた最初の1,000人の訪問者から、2,500人の訪問者へと景品を出す人数を変更せざるを得なかったほどです。
また、Apple Store銀座では、グランドオープンの懸賞も用意されていました。幸運な人は、コンボドライブ・Canon DVカムコーダー・デジタルカメラ・プリンターを備えた15インチiMacをゲットしたのです。
Appleと日本は深い縁で繋がっていた
スティーブ・ジョブズと、Appleのデザイナーのトップだったジョニー・アイブ(Jony Ive、先日公式サイトの役員紹介ページからプロフィールが消えてしまいました。。)は、特に日本のデザイナーの「ミニマリズム」美学に関して、日本を非常に賞賛していました。ジョブズはまた、学生時代から彼に大きな影響を与えた「禅」の導師が日本人であったことから、日本そのものにフォーカスしていたのです。黒のタートルネック(イッセイミヤケ)とジーンズ(Levi’s)とニューバランスのスニーカーで構成されたあの独特な「ユニフォーム」を着用するという彼の決断でさえ、日本をルーツとして生まれました。彼が敬愛していたソニーも日本企業で、そのソニーの盛田昭夫会長との感動的な会話の後、彼は自分の「ユニフォーム」を導入することを決断したのです。
ジョブズはかつて、Appleの全従業員に公式ユニフォームを導入することさえ検討していました。「私はいくつかのサンプルを持って戻ってきて、みんなにこれらのベストを着ればいいとみんなに言った」と彼は後に思い出しました。「あら、ステージからブーイングされましたか。誰もがこのアイデアを嫌っていました。」結局、イッセイミヤケからユニフォームのデザインを断られたという背景もあるようですが。。
それでも、Appleは日本市場に対しては実に複雑な歴史がありました。初期のAppleは、日本と取引したくないが為に、日本語でのマニュアルを作らず、また価格も非常に高い設定にして、普通の人は買えないようなレベルにしたのです。米国商務省は、「日本でビジネスをしない方法」のケーススタディとして、「日本市場をクラック」するアップルの初期の試みを盛り込んだマニュアルをかつて公開していたほどです(1980年代)。
しかし、Appleが銀座店を開いた頃には、そんな状況は一変していました。PCは日本という国ではるかに普及していました(米国よりも後のことですが)。一方、世代交代により、Appleは初期のギークのためのコンピュータを売る会社ではなく、「Designed in California」というオーラに引き寄せられた若い顧客達とともに非常にクールなブランドに育っていました。Apple製品とあのりんごマークは、もはやファッションアイテムとして認知されていたのです。ポップな外観のiMacと、音楽好きなら誰もが手にしていたiPodの影響は計り知れないほど大きかったのです。
Appleは日本でビッグに
このApple Store 銀座店のオープニングの長い行列を見てください。
今日、日本は引き続きAppleの重要拠点となっています。iPhoneは日本では成功しないという初期の予測にもかかわらず、日本は結局iPhoneを他の国よりも圧倒的に熱狂的に受け入れました。Appleは他に名古屋、福岡、札幌(現在は閉鎖)、仙台、大阪、そして東京には表参道、新宿、そして大手町に全4店舗もオープンしています。
日本のApple Storeで、他国と異なったユニークなイベントといえば、毎年正月に並んで待つ人に販売される「福袋」です。これは他国でもあまりない習慣ですね。福袋の存在は正直日本人が賢いのか賢くないのかわからなくなります。
Apple Store銀座はAppleファンにとっても聖地
Apple Store 銀座はオープン以来、たびたびニュースに取り上げられています。特に大きかったのは2011年、あのスティーブ・ジョブズが亡くなった後、日本のAppleファン達が敬意を表すための集会所になったことです。このことは海外でもニュースで大きくとりあげられたのは記憶に新しいところです。デジカメとか、折り畳み式のガラケーが多いのが時代を感じさせますが。。笑
というわけで、13年前、Apple Store 銀座がオープンしたのでした。私個人としても、ここでいくつかの製品を買いました。iPhone 7も買いましたし、12インチMacBookやiPad Pro 10.5インチ、そして現在メインで使っているMacBook Pro 13インチ 2018 Ultimateモデルもここで買ったものです。
2011年はまだ上海で駐在員だったため、スティーブ・ジョブズの追悼を日本の銀座店ですることができなかったのがちょっと残念でしたが。。みなさんは、Apple Store銀座にどんな思い出がありますか?
記事は以上です。
(記事情報元:Cult of Mac)