ジョニー・アイブのAppleからの退職について、あの著名ブロガーが吠える

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米Apple社の最高デザイン責任者、サー・ジョナサン・アイブ(Sir Jonathan Ive、以下俗称ジョニー・アイブ)が年内にAppleを退職するニュースが流れました。当ブログでもお伝えした通りです。そんな中、あの世界でも最もApple幹部達にも個人的に近しい関係性を築いているブロガー、ジョン・グルーバー(John Gruber)氏が、そのブログDaring Fireballでかなり吠えていますので、要約してご紹介したいと思います。

John_Gruber

まず、ジョン・グルーバー氏はジョニー・アイブがAppleを去って新しい会社を設立することは、やはりAppleからの断絶を意味するとしています。ジョニー・アイブがApple内部にいるかいないかが問題であって、ティム・クックCEOが長々とコメントで今後も長く付き合えることを期待するといくら取り繕っても、結局翻訳すると「He’s gone.(彼は行ってしまった)」になる、と捉えています。

MacBook-Butterfly-Keyboard

またジョニー・アイブが確かにデザイン的に優れている人であることは認めていますが、最近のMacBookのバタフライキーボードのように、構造的欠陥を抱えたまま数年間そのまま使い続けられている(その結果無償交換プログラムを提供するという羽目になっています)という事態を引き起こしたのは、ジョニー・アイブがあまりにも本体の薄さや美しさに拘りすぎたからとしています。

グルーバー氏は、ジョニー・アイブを卿(英国のナイト爵位を取得しているため、”Sir=卿”という呼び名が付く)と呼ぶ気はないようです。なぜなら、アメリカではその爵位はないからとしていますが、Fuck this “sir” shitとすごい書き方でけなしているということは相当よく思っていないのでしょうね。

また、ジョニー・アイブが抜けた後に工業デザイン担当副社長のEvans Hankeyと、ヒューマンインターフェイスデジアン担当副社長のAlan Dyeの二人がジェフ・ウィリアムズCOOに仕事を報告することになっていること自体を意味のないものと切り捨てています。これについては、最後の方に詳しくその理由が述べられています。

Tony-Fadell_Jony-Ive_Steve-Jobs

スティーブ・ジョブズがAppleに復帰した1997年以降の時代に、AppleをAppleにしていた理由の1つは、ジョブズが舵を取っていたとき、すべての設計上の決定が非常に趣味の良い人を介して行われていたことだとグルーバー氏は語っています。それは完璧な味ではありませんが、素晴らしい味だと。しかし、ジョブズをこのように優れたリーダーにしたもう1つの部分は、悪い決断をすぐに認識して修正できたということだったとされています。

確かにティム・クックCEOとジェフ・ウィリアムズCOOは企業経営者としてはこの上なく優秀です。しかし、製品デザインのトップは一体ジョニー・アイブが抜けたら誰がやるのでしょう。ジョニー・アイブが抜けた後の最高デザイン責任者(CDO)は指名されていません。その立場は、昔はスティーブ・ジョブズが自ら常に行っていました。製品そのものの観点からみれば、ポストジョブズ時代はティム・クック時代ではなく、ジョニー・アイブ時代だったといえるのです。

McCartney-Lennon

面白いことに、グルーバー氏は直観的に、ジョブズがいなくなった後のジョニー・アイブを、あのビートルズのジョン・レノンが死んだ後のポール・マッカートニーのようであったと例えています(ビートルズの楽曲の殆どがLennon-McCartney名義であることを鑑みれば、ビートルズの基軸はこの2人にあったことは明らかです)。もちろんジョン・レノンが好きな人はマッカートニーのいないレノン、と逆にしてもいいとしています(ただ時間軸的にはジョンが先になくなっているので、逆はちょっと辻褄が合わないですが)。つまり、言いたいことのポイントは、彼らのコラボレーションの成果が、まるで魔法のようにデュオの才能とその嗜好の合計よりも遥かに大きいものを生み出していた、ということです。それがビートルズであり、Appleだったのです。

そしてこれまで書かれたポスト・ジョブズ時代のジョニー・アイブに関する文章の中で、最も洞察に満ちた作品であると思われる2015年にIan Parkerが書いたThe New Yorkerの記事の中で、ジョニー・アイブがコンピュータの設計を超えて動いていたことが指摘されていることが注目に値します。Appleの全てのポイントは「コンピュータ」を設計することで、これからもそうであるべき、とグルーバー氏は主張します。そしてAppleの作るものは全てが「コンピュータ」だともしています。実際、天才と呼ばれるジョニー・アイブが手がけてきた近年の作品は、一見コンピュータのようには見えないけれども実際はコンピュータでした。Apple WatchもAirPodsも、特に後者などは我々の「ファッキンな」耳の中に入るものさえ、コンピュータであるわけです。そしてそれが、Appleなのだと。

charitybuzz-apple-park

ただ、ジョニー・アイブの近年の精力は建築に向けられていました。今のAppleの本社、Apple Parkは確かにジョニー・アイブのデザインを100年間証言する道具になるでしょう。

Font-San-Francisco

グルーバー氏にとっては、ジョニー・アイブがAppleの全てに単一のフォント、San Franciscoを採用していることは魅力的に映ったようです。あらゆるプラットフォームのシステムフォントにSan Franciscoが使われています。それ以前のジョブズの時代には、フォントの選択は優れたものでしたが、少々複雑でした。恐らく、スティーブ・ジョブズはジョニー・アイブほどフォントやデザインに関する扱いは遥かに厳格ではなかったといえるのではないでしょうか。Apple Watchの盤面のような小さいものから、屋外の超巨大広告まで、統一して使えるフォントを生み出す厳格さ・厳密さというのはやはり並外れた才能を持ったジョニー・アイブにしかできなかったかもしれません。そして新しいApple StoreやApple Parkでは、同じデザイン言語(照明・材料・什器含む)で統一して作られているのも、Appleのブランドに厳密な一貫性を持たせたといえるでしょう。

しかし本来、Appleは建築に関するデザインチーフは必要ないのです。そして彼らにとっての本当の建築、Apple Parkは既に完成してしまっています(それがジョニー・アイブが潮時だと思ったタイミングなのかも?)。

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Appleのジェフ・ウィリアムズ現COO

そしてグルーバー氏は、チーフデザイナーがCOOに業務を報告するということに吐き気を覚えるとしています。グルーバー氏の例えはプログラミングに詳しい人にしか伝わりませんが、Xcodeグループの中で、LLVMコンパイラチームに報告させる以上に意味がないことだとしています。ジェフ・ウィリアムズもLLVMチームもデザインができる人ではありませんが、AppleがAppleであるためには、誰かがデザインをしっかりと担当する必要がある、とグルーバー氏は主張します。そして「最高デザイン責任者(CDO)」という地位が、ジョニー・アイブのためだけに作られた一時的な職位であってはならなかったといいます。Appleだけに限りませんが、しかしAppleにとっては特に、この「CDO」という地位は恒久的なCレベルの地位であるべきなのです。アイブ氏がソフトウェアデザインまで統制するべきだったとは思いませんが、少なくともアイブはデザイナーでした。しかしジェフ・ウィリアムズCOOはあくまで運営のプロであって、デザイナーではないのです。

上記のような主張の後で、グルーバー氏はジョニー・アイブが去ることがAppleの問題ではない、Appleにとっては、ジョニー・アイブの代わりを用意しなかったことが問題なのだ、と結んでいます。確かに。。ごもっともです。

私個人的には、昨日書いた記事のようなジョニー・アイブのもつ独特なデザイン言語であり彼のインターン時代からの特徴であった「フィドルファクタ」がAppleからなくなることも危惧していますが、逆にジョニー・アイブが去ることでLightningコネクタや、グルーバー氏も指摘するMacBookシリーズのバタフライキーボード、また同じくMacBookシリーズの壊れやすいヒンジなど、デザインに拘りすぎた遺産から解放されることでAppleがよくなっていく可能性もあると思っています。ただし、グルーバー氏が指摘するように、AppleがAppleであるためのデザインについては、最終的に責任を持つのが運営(オペレーション)のトップが担当しているようでは不安が残りますね。

記事は以上です。

(記事情報元:Daring Fireball

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