Appleの最高デザイン責任者(CDO)、ジョナサン・アイブ(Jonathan Ive、以下俗称ジョニー・アイブ Jony Ive)氏が今年後半に離職するニュースは、世界中でホットトピックになっています。当ブログでも3連続でお伝えしたところですが、更にWall Street Journalが興味深いことを書いていますので連続となりますがご紹介します。ジョニー・アイブCDOはAppleがデザイン以外の業務に注力していることを嫌っていて、彼自身の定期的なデザイン会議にも今後欠席することになるだろうと伝えています。
ジョニー・アイブは今年後半にAppleを離れて自身のデザイン会社「LoveFrom」を立ち上げ、経営していく予定です。しかし、Wall Street Journal(以下WSJ)は、彼は数年前に事実上退職していると主張しています。伝えられるところによれば、ティム・クック(Tim Cook)が故スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)からCEOを引き継いで以来、アイブはAppleがデザインよりもオペレーションによりリソースを集中していることに不満を持っていたというのです。
「スティーブ・ジョブズがまだ生きていた頃には」とデザイングループ内の匿名のスタッフがWSJに対して語ります。「スティーブが今日スタジオにやってくるとなると、彼に見せるために非常に多くの準備と努力が必要でした。」「しかしそれもスティーブの死と共になくなりました。」
対照的に、いくつかの情報筋によれば、クックCEOはデザインスタジオには滅多に姿を見せなかったので、アイブが意気消沈したという話もあります。
クックがしたことで伝えられるところでは、アイブに他のどのApple幹部よりもはるかに多くを支払うことであり、そしてその後自宅でより多くの仕事を容易にすることであったようです。
同じ情報筋によれば、アイブを自宅で仕事させるという考えは、iMacやiPhoneなどの製品に何年もの間集中的に取り組んできた後、彼がリフレッシュできるようにという思惑があったようなのですが、結果的にそれはうまくいきませんでした。
「現実には、彼は一生懸命働いて疲れきったようになった」とその情報筋は伝えています。
アイブがApple Watchを作りたいと提案し、他の幹部がそれを望んでいなかったとき、クックはアイブの味方をしました。しかしアイブが本当に作りたかったのは高級腕時計だったのです。結局会社はそれをiPhoneとペアリングができるものとしてリリースしましたが、その中にオプション(Apple Watch EDITION)として高価格版を入れることで妥協した形になりました。
伝えられるところによれば、Apple Watchの10,000ドル(100万円超)のゴールド版は、何千個も売れ残ったといいます。100万円が何千個なので、これはなかなかの損失です。更にApple Watch全体としては、WSJはAppleが初年度におよそ1000万台販売したとしています。しかしこれはApple社が期待していた販売台数のたった4分の1であったということです。今やSeries 4の世代になってスマートウェアラブルデバイスの中で支配的な地位を持つApple Watchですが、初代はそんなこんなでとても成功したデバイスとはいえませんでした。これもジョニー・アイブに責任の一端があったといっても過言ではないでしょう(Apple WatchのデザインそのものはAppleの同僚で一緒にLoveFromを立ち上げるマーク・ニューソン Marc Newsonが深く関わったようですが)。
その後、2015年に、ティム・クックは2つのことを成し遂げたアイブをAppleの最高デザイン責任者という職位に据えました。アイブが新社屋のApple Parkのデザインに専念できるように日々の業務や責任から解放し、さらにサンフランシスコ、ハワイ、イギリスの自宅で仕事をすることを可能にしました。
WSJが当時のAppleのリーダーシップに近しいと説明している情報筋によると、「デザインチームはアイブの近くにいることを切望していました」と述べています。「彼は人を惹きつける魅力がありました。しかし(現実的には)彼が周りにいないのには失望しました。」
工業デザインとヒューマンインタフェースグループは、それぞれ正式にAlan DyeとRichard Howarthという新しいリーダーが指名されました。しかし両方のデザインチームメンバーは引き続きアイブの方を向いていたのです。「彼らは、ジョニーがいいね!と親指を立てることをまだ望んでいたのです」とリーダーシップに近い情報筋は語っています。
別のデザイナーは、「すべての決定を下すために彼が必要だったということではありません」と証言しています。「彼は私たちにもっと上手くやれるように挑戦させてくれたのです」
その間、アイブはAppleのソフトウェアデザイナーと毎月「デザインウィークセッション」を設定していたのですが、どうやら彼はそこにめったに現れなかったようです。
Appleが10周年記念のiPhone(iPhone Xのこと)を設計していた2017年まで、その欠勤と遠隔作業は続きました。アイブはiPhone Xに関する会議には出席しましたが、その会議はサンフランシスコの彼の自宅の近くで行われ、しかも伝えられるところによれば彼はほとんど何もしなかったということです。
会議に出席していたとある人物は、アイブは約20名のデザイナーが出席している会議で、デザイナー達が自分がやりたいことを概説していることに耳を傾けていたとWSJに話しています。しかし、アイブは彼らからの質問への回答をせずに会議を退席したというのです。
「私たちの多くは考えていました。いったいどうしたんだろう、と」とあるデザイナーは語っています。「ジョニーは去りましたが、手綱を引き渡すことには消極的だったのです」
しかし、アイブはApple Parkのデザインに関してはかなり熱心に仕事をし、その中で、工業デザインおよびヒューマンインタフェースグループの両方のプロトタイプを作成するスピードをアップするための新しいプロセスと新しい作業方法を生み出しました。
「彼はAppleに途方もないパワーハウスを持ち込みました」とある情報筋は述べました。「しかしそれが今後どうなるのでしょうか?誰にもわかりません。」
ジョニー・アイブCDOの退職については様々な見方があるようですが、今回は社内或いは社内に近い情報筋からの情報がメインにまとめられたものでした。
ジョニー・アイブは近年は事実上殆ど退職しているような状態だったのかもしれません。そして、ジョニー・アイブのような伝説的かつカリスマ的な人物がAppleから抜けることで、デザインがますますオペレーション化し、Apple社内のデザイナー達のやる気が更に削がれることが懸念されます。
当ブログでのジョニー・アイブCDOの退職についての記事は以下の通りです。
記事は以上です。
(記事情報元:Wall Street Journal via Apple Insider)