超高速成金!世界の起業家の個人資産10億ドル到達速度ランキングトップ10

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全世界には1826人もの億万長者がいるといわれている。そしてその中の一人になるのは非常に難しいことだが、この記事で採り上げるのは精鋭中の精鋭だ。彼らは一気呵成にその富を築き、その他の億万長者はその影にさえ追いつかないほどだった。もはや彼らのビジネス上の成功は彼ら本人の才能や素質には関係なく、基本的には時代の変遷や、ある種の産業革命(テクノロジーブーム)に乗っかったものだといえる。

Mark-Zuckerberg_facebook_top

以下はThe Hustleがまとめた、ゼロから起業した富豪のうち、10億ドルの個人資産を築いた速度ランキングトップ10だ。

 

10位:ジョン・D・ロックフェラー(スタンダード・オイル)

John-D-Rockefeller_Standard-Oil

彼は25年の時間をかけて、個人資産を10億ドルにした。

【興味深い歴史】

ロックフェラーは人々の目にはこの世界で最大の名を轟かせた富豪で、しかも世界で最も偉大な慈善家に映っているかもしれない。彼が持っていた資産は、現在の価値に換算すると3450億ドル(約40兆円)にものぼるといわれている。その個人資産は現代の富豪のトップのビル・ゲイツも遠く及ばない。なお彼はシカゴ大学を創設したが、大学に彼の名前をつけることを拒絶した。なぜならロックフェラーはこの大学について語られる際に、彼自身について思い出されることを望まなかったからだ。

【どのように成し遂げたか】

当時、アメリカにはまだ独占禁止法(反トラスト法)がなかったため、ロックフェラーは石油の独占企業、スタンダード・オイル(Standard Oil)によって莫大な富を築いた。1870年、スタンダード・オイルが設立されたとき、ロックフェラーは31歳だった。その前の職業は製造委託会社のマネージメントだった。そして数年のうちに、彼は殆どのクリーブランドの全ての製油所を買収し、当時の米国で最もビジネス界で影響力を持つ富豪となった。

1890年初、スタンダード・オイルは米国の90%近い石油の販売シェアを持ち、独占状態だった。そしてそれがロックフェラーを億万長者にした。彼は米国の独占財閥の時代を一手に作り上げたが、それと同時に彼がいたからこそアメリカ合衆国には独占禁止法が生まれ、独占的な企業に対して非常に厳格な法規制(シャーマン法をはじめとした反トラスト法)が生まれ、監視されるようになったともいえる。

 

9位:ビル・ゲイツ(マイクロソフト)

Bill-Gates_Microsoft

彼は12年の時間をかけて、個人資産を10億ドルにした。

【興味深いエピソード】

彼が15歳の時、彼は道路上の交通量をコントロールするプログラムを開発してそれを販売し、20000ドルの収入を得ている。

【どのように成し遂げたか】

1978年、マイクロソフト(Microsoft)が創設されて3年後、当時のゲイツには25人の従業員しかおらず、250万ドルの収入しかなかった。しかし1983年には、マイクロソフトがリリースしたソフトウェアが世界の30%のコンピュータに使用されるようになった。

1986年、マイクロソフトは上場する。ゲイツの純資産は3億5000万ドルを突破した。当時彼は30歳だった。そしてこの数字はあっという間に10億ドルを突破し、彼は米国トップの富豪にのし上がった。

 

8位:セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジ(グーグル)

Sergey-Brin_Larry-Page_Google

8年で、彼らの資産は10億ドルに達した。

【興味深いエピソード】

当時グーグル(Google)が設立したばかりの年に、ブリンとペイジは共同で1つの文書を発表した。その文章では、彼らはなぜ広告業務を主要な収入源にした会社を作りたくないかということを解説していた。しかし今では誰もがご存じの通り、グーグルの収入の90%が広告収入だ。

【どのように成し遂げたか】

ブリンとペイジはスタンフォード大学でグーグルの初歩的な構想を既に生み出していた。プロトタイプを開発した後、二人は160万ドルの価格で当時ネットワークポータルベンチャーのExciteに売ろうとした。ペイジはExciteに60万ドルの現金、70万ドルの株、そして残った30万ドルはスタンフォード大学に直接払えばいいといった。

今となっては非常に幸いなことに、Exciteはその価格について難癖をつけて値下げ交渉をし、最終的に75万ドルの価格を提示してペイジに拒絶された。もしExciteが最初の価格で二人のアイデアを購入していたら、今のグーグルはなかっただろう。

そんなわけで二人は起業した。そして数年後、彼らが30歳そこそこの時に、グーグルのIPOによって、彼らの資産は10億ドル単位で計算されるようになった。

 

7位:ショーン・パーカー(フェイスブック初代CEO)

Sean-Parker_Facebook

彼は6年半の時間をかけて、10億ドルの資産を築いた。

【興味深いエピソード】

フェイスブック(Facebook)が融資に成功した後、パーカーはフェイスブックの最初の事務所の壁に壁画を作ってもらうため、アーティストを探し、6万ドルの価格を提示した。しかしそのアーティストは現金はいらないから同社の株をくれといった。そのアーティストの名はDavid Choe。彼はそこでフェイスブックの株を手にしたおかげで、個人資産が2億ドルを超えている。

【どのように成し遂げたか】

フェイスブックの初代CEOになる前は、パーカーはナップスター(Napster)やプラクソ(Plaxo)の創業者として有名だった。数年後、ナップスターは1兆ドルもの裁判を起こされて休業を余儀なくされ、プラクソでは彼は放逐されてしまい、彼自身は個人事業としては破産宣告を受けていた。当時彼は自分の寝る部屋もなく、友人の家のソファーで寝ていたという。

当時24歳だったパーカーはフェイスブックを立ち上げてまだ半年しか経っていないマーク・ザッカーバーグに出会ったことが彼にとって非常にラッキーだった。その後発生したこと全ては、彼らの言葉を借りれば、既に歴史に刻まれているという。

 

6位:ジェフ・ベゾス(アマゾン)

Jeff-Bezos_Amazon

彼は4年半の時間を使って、10億ドルの個人資産を築いた。

【興味深いエピソード】

アマゾンが1994年に創業された後、ベゾスは自分への給与を6万ドルとした。それから彼の年俸は安定的に上昇し、現在は168万ドルとなっている。しかしそのうち81,840ドルが彼の個人の給与で、残りの160万ドルは全て彼のセキュリティに支払っているという!

【どのように成し遂げたか】

ベゾスは当時、ニューヨークの投資会社を退職し、悪くない給与を捨ててアマゾンを創業した。当時彼は31歳で、彼の両親が30万ドルの支援をした。アマゾンは当時は単なるオンライン書店で、2ヶ月で2万ドルの業績を上げた。そして3年後には情報を果たし、ベゾスは一躍億万長者となった。

ベゾスの両親が当時投資した額を、現在のアマゾンの価値に換算すると120億ドルにもなる。

 

5位:マーク・ザッカーバーグ(フェイスブック)

Mark-Zuckerberg_facebook

4年をかけて、彼の個人資産価値は10億ドルになった。

【興味深いエピソード】

2012年、彼は既に世界で40番目の富豪になったが、彼は600万ドルの借金をして家を買った。なぜなら当時彼はローンを1%に抑えて組んで、当時のインフレ率は3%だったため、彼はそれらの借金をしても自分からは何らコストをかけずに済んだのである!レバレッジのかけ方が賢すぎる。。

【どのように成し遂げたか】

フェイスブックは2004年にハーバード大学の中で創業され、24時間以内に1500人ものユーザを獲得。そして7ヶ月にはザッカーバーグはハーバード大学を離れ、会社をパロアルトに移し、50万ドルの融資を得た。2006年、ザッカーバーグはヤフー(Yahoo)が提示してきた10億ドルでの買収話を拒絶している。

 

4位:ピエール・オミダイア(イーベイ)

Pierre-Omidyar_eBay

3年で彼の個人資産は10億ドルに達した。

【興味深いエピソード】

イーベイ(eBay)で売れられている最も高価な商品は、1億6800万ドルのクルーザーだ。

【どのように成し遂げたか】

オミダイアは1995年、イーベイを副業として開始した。それは彼が28歳の時だった。イーベイがオンライン後、9ヶ月でこのサイトはオミダイアが本業を辞職するにありあまる金を稼ぎ出した。3年目にはイーベイは上場、オミダイアを驚くほどの速さで億万長者にのし上げた。

 

3位:アンドリュー・メイソン(グルーポン)

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2年半で、彼の個人資産は10億ドルに達した。

【興味深いエピソード】

グルーポン(Groupon)は既にザ・ポイント(The Point)に名称変更されているが、その新名称のインスピレーションはMalcolm Gladwell の著書《The Tipping Point》から来ている。

【どのように成し遂げたか】

グルーポンは団体購入をすることによってサービスを安価で利用できるようになるサイトであることは誰ももが知っている。。しかしこのサイトの成長スピードが世界一速かったことはあまり知られていない。

グルーポンは設立以来、17ヶ月で1億3500万ドルの融資を調達し、その後10億ドルを超えた。フォーブス(Forbes)の報道によれば、グルーポンは7ヶ月で黒字化し、2年半で収入が10億ドルを超えたという。

 

 

2位:ゲイリー・ウィニック(グローバル・クロッシング)

Gary-winick_Grobal-Crossing

1年半で彼の資産価値は10億ドルに達した。

【興味深いエピソード】

21世紀の初頭、インターネットバブルがはじけた頃、ウィニックは彼の全ての財産を賠償に回さなければならなかった。そして最後に彼に残ったのはロサンゼルスにある2億2500万ドルの豪邸で、その邸宅の内装や配置はまるでアメリカ大統領の公的事務室「オーバル・オフィス(Oval Office)」のコピー版といったところだ。この邸宅も2013年には売りに出されたが、当時は全米で最も高い家と評されたほどだった。

【どのように成し遂げたか】

1997年、ウィニックはグローバル・クロッシング(Global Crossing)を創業した。この会社の主な業務は、大西洋に海底光ケーブルをひくというものだった。AT&T、マイクロソフトやその他の巨頭も自社の業務をアジアに展開するために、同社のサービスを利用した。1年後、グローバル・クロッシングは上場し、18ヶ月=1年半という短い期間でウィニックは億万長者となった。彼はインターネットバブルの結果として生まれた数名の勝ち組の一人だった。

しかし4年後、グローバル・クロッシングは商業詐欺事件によって破産申請し、株主に3億3500万ドルの支払いをしなければならなくなった。これは嘘のような本当の話だ。

 

1位:ジェイ・ウォーカー(プライスライン)

Jay-S-Walker_Priceline

たった1年で、彼の個人資産は10億米ドルに達した。

【興味深いエピソード】

10億ドル以上を稼ぎ出した後、ウォーカーは本(書籍)を集め始めた。彼の所蔵する書庫は、現在世界で最も人々を震撼させる図書館の1つとなっている。

【どのように成し遂げたか】

プライスライン(Pliceline)社を創業する前に、ウォーカーはシナプス・グループ(Synapse Group)の創始者だった。この会社は金融ベンチャーで、その後3億米ドルで買収された。ウォーカーはこの取引で得られた3億ドルでプライスラインを操業し、1998年に正式に設立された。そしてサービス開始4ヶ月後に4000枚のチケットを売った。1999年に同社は上場し、ウォーカーは億万長者となった。

 

画蛇添足 One more thing…

当時の貨幣価値とは今とは違うにせよ、あのロックフェラーでさえ25年かかったところが、インターネットの発展によってとてつもない速さで富豪が生まれていることを考えると、インターネットはやはりとんでもないテクノロジー革命で産業革命だったといえるだろう。しかもトップ10は全員アメリカ人。やはり世界の富の中心はアメリカにあるということがよくわかる

ちなみにAppleのスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)がランクインしていないのは、本当の意味での個人資産の10億ドルに至ったのはAppleを起業してずっと後のことだったからだろう。

いずれにせよやはり稼ぐために世の中の流れに先駆けて乗るのは大事!ということなのだろう。ただ、2位のゲイリー・ウィニックのような例もあるので要注意だ。

さて、今後はどんな革命によってどんなとんでもない富豪が生まれるだろう。もちろん自分もその中に入ってみたいが。。それは夢のまた夢。。?笑

記事は以上。

(記事情報元:hustle

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