アップル(Apple)の創業者スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)とマイクロソフト(Microsoft)の創業者、ビル・ゲイツ(Bill Gates)。間違いなく現在のコンピュータ業界の発展を担った2人の巨頭は、最大のライバルであり、そしてかつては密接な協力関係を持った友人だった。この微妙な2人の関係を、中国のテック系メディアWeiPhoneが名文と共に紹介している。当ブログでは写真と文章を少々アレンジしてご紹介する。
過去30年、この2人が歩む道のりの中で、2人の関係は”慎重な盟友”或いは”友達に近い存在”という言葉で語られることが多い。彼ら自身の心の中では、お互い相手をライバルとしていたのか、それとも友達とみなしていたのか、はたからはなかなかわかりにくい。しかしビル・ゲイツにとっての”友達”には、ポール・アレンのような一緒に起業した仲間以外にも、当然同じように伝奇に満ちあふれたライバル達も含まれるようだ。そしてもっとも世界で伝奇に満ちあふれた人といえば、やはりそれはスティーブ・ジョブズだろう。
彼らは永遠のライバルではなかった。マイクロソフトの初期、つまりアップルのApple IIが最も流行していた頃、ゲイツはしょっちゅうクパチーノ(アップル、当時のアップルコンピュータの所在地)に飛び、アップルが何をやっているのかを学び、ジョブズと交流を持っていた。
80年代になると、ジョブズがワシントンに行き、Macintoshのコプロセッサの問題でビル・ゲイツと協力関係を結んだ。この初代Macの意義は、初めてGUIをパーソナルコンピュータに持ち込むというものだった。
ゲイツは当時のことを振り返って、その時の印象はそれほど深くなかったが、ただちょっとおかしな誘いだったという。当時ジョブズはゲイツにこう言ったのだ。「僕は君の助けを必ずしも必要とはしていない。でも僕は君をこのことに参加させたいんだ」
ただ、それから間もなくMacintoshが販売開始されると、ビル・ゲイツはMacintoshへの賞賛をやめなかった。「この製品は人類の想像力から生まれたものだ!」とまで。
マイクロソフトはMacintoshについては相当長い間協力関係を持っていた。ビル・ゲイツは当時のことを少々ユーモアを込めてこう語っている。「当時うちのMacintoshに注いだ精力はジョブズよりも多かったんだよ!」
しかし1985年にマイクロソフトが初めてのWindowsをリリースした時に、二人の関係はギクシャクしたものとなった。
怒ったジョブズはゲイツとマイクロソフトがアップルの成果を盗んだと責め立てたが、ゲイツはそう思っていなかった。ゲイツはGUIやアイコンインターフェイスが更に巨大になっていくと信じていたが、それがアップル独自の思想ではないことも知っていたのだ。
ゲイツはアップルのアイデアがゼロックスのパロアルト研究所(Xerox PARC)から来たものであったことも知っており、ジョブズが怒ったときにゲイツはこのように返している。「OK、スティーブ、私は君に角度を変えて見て欲しいんだ。ゼロックスは僕たち二人にとって金持ちのお隣さんのようなもので、僕が彼の家に侵入してテレビを盗もうとしたとき、もうテレビは君に盗まれてしまっていたんだ、とね」
ジョブズは当時のことをこのように振り返っている。「当時あの事件で二人の間には溝ができたけど、あの時点ではこのことは避けられなかったんだ」
ゲイツは、「当時彼(ジョブズ)は自分の現実歪曲空間にはまっていたんだよ」と語る。
ジョブズはその後、ゲイツのことを「ビル・ゲイツは自分の事業に没頭しすぎていたんだ。もし彼が若いときにもっとパーティとかエンターテインメントのイベントに参加していれば、もっと面白くて懐が広い人間になっていかもしれないのにね」と評価している。
ゲイツはジョブズをとても自由闊達な人だと捉えていた。その上、彼がジョブズを尊敬していた点は、ジョブズはプロのテクノロジーについては全く理解していないのに、いつも驚くほどの天賦によって物事を成し遂げていることだったという。
1985年、ジョブズがアップルを辞職した時、彼はアップルとマイクロソフトの関係を修復しないまま去った。
ジョブズは当時こう考えていたのだ。「もしマイクロソフトがその後の競争で勝ったら、コンピュータの未来は20年間暗黒時代を迎えるだろう」
ところが最終的にはWindowsが勝利を収め、80年代後期にはマイクロソフトはPCの領域では押しも押されぬ存在となっていた。
1996年、ジョブズはPBSのドキュメンタリーで、マイクロソフトの収めた成功を「本の虫みたいな勝利にすぎない」と評価している。
同じドキュメンタリーフィルムの中で、ジョブズは更に、「マイクロソフトの唯一の、そして最大の問題は、彼らには品格が足りないんだ。だから、彼らの製品には何ら文化的な要素がないんだ」とこき下ろしている。
90年代後期、アップルが倒産寸前の最も危険で困難な時期に陥った。そんな中、1996年にジョブズはアップルに返り咲いた。正に王者の帰還だったのだ。しかしその前に、ゲイツは実は当時のアップルのCEO、ギル・アメリオにジョブズを戻した方がいいと勧めていたのだ。
ゲイツは当時のことをこんな風に語っている。「アメリオはジョブズのところのテクノロジーを理解していた。あれは時代遅れのUNIXシステムみたいなもので、あんなものは自分のコンピュータに永遠に使いたくないと思っていたんだ。しかしジョブズはまるでスーパー営業マンみたいな感じで、製品そのものについては全然理解していなかったんだ」
1997年、ジョブズは正式にアップルのCEOに返り咲いた。彼は最初のMacWorldで、「アップルはマイクロソフトの投資を受け、再び復活します」と発表し、ビル・ゲイツが衛星通話で巨大スクリーンに登場したときに、観客からはブーイングが起きた。
その後、ゲイツはだんだんとジョブズを理解し、そして尊敬するようになった。彼らの意見はいつも分かれていたというのにだ。しかしアップルがiTunesをリリースした時に、ゲイツはマイクロソフト社内向けにこんなメールを送っている「スティーブ・ジョブズは彼の特定の物事に集中することによる判断能力で、電子製品市場に素晴らしい革命を起こした」
アップルが2001年にiPodをリリースした時、ゲイツは更にこのような社内メールを送っている。「今私たちは証明しなければならない。ジョブズには一歩先を行かれてしまったが、私たちも彼に追いつけると言うことを。」
当時のマイクロソフトは一種の局限性に陥り始めていた。当時スティーブ・バルマーがゲイツからマイクロソフトのCEOを引き継いでいたが、ジョブズは「彼らは自分たちの統治力が落ちていることを明らかに感じていることだろう。そして私は自分が進む道を何ら帰ることはしない。私はやはり私のリズムで物事を進めていく」
iPhoneが成功したときも、ゲイツは他の会社がボトルネックに陥ったからこそアップルに機会を与えたというわけではなく、アップルが自らの仕事をしっかりやったから、きちんと成し遂げることができたと評価している。
しかしその時、ゲイツはiPadがタブレットPCとしてあのような大成功を収めることは想像していなかった。マイクロソフトも長期の目標を定めなかったことから、機会を逃してしまったのだ。
しかし、ジョブズもWindowsを見くびりすぎていたことは間違いない。相当長い間、そして現在でも、Windowsは絶対的な地位を築いていることを事実が証明している。
ゲイツが2006年に正式にマイクロソフトを退いた時、ジョブズはゲイツをこう評価している。「ゲイツにはテクノロジーと商人のとしての天分があった。しかし彼は製品の革命的な進歩の想像力にはかなり限界があった。私は今彼がもっと関心を持っているのは慈善事業じゃないかと思っている。テクノロジーじゃなくてね」
しかし、2007年に二人が同時に同じステージに立ったとき、彼らはお互いを尊重することを学んでいた。ゲイツは「私はスティーブのこんな感じのスタイルに非常に憧れているんです」とまで言っている。
事実、ジョブズもかつてこんなことを言っている。「私は彼の行動と彼の作った会社をとても評価している。私に非常に深い印象を残したし、ゲイツ本人もとてもユーモアを持った人だよ」
ジョブズがこの世を去ったとき、ゲイツはジョブズについてこう語っている。「私はスティーブを尊重している。私たちは仕事では一緒にお互い励まし合っていた。ライバルではあったけど、彼は私に違った人生を味わわせてくれた」
しかし実際は彼ら二人はそれぞれの人生で、とっくに自分自身の”伝奇”を築き上げていたのだ。ジョブズは世界で最も企業価値のある上場企業であるアップルを作り上げ、ビル・ゲイツは世界トップの符号の地位を何年も連荘で獲得している。彼らは自分に最適な方法を見つけ、自分だけの素晴らしい人生を送ったのだ。
時間が流れ、今後彼ら二人の巨頭の時代に思いを馳せる時代になった時、ビル・ゲイツであろうとスティーブ・ジョブズであろうと、どちらも彼らの人生の伝奇物語は、誰にでも語るべき価値のあるものだったのは間違いない。
画蛇添足 One more thing…
なお、二人が成功するまで、またMacintoshがリリースされるまでの関係をよく知るには、多少アレンジもあるがスティーブ・ジョブズ本人も認める伝奇映画「Pirates of Silicon Valley(邦題:バトル・オブ・シリコンバレー)」をオススメしたい。ドキュメンタリータッチで、しかもスリリングで、エンターテインメントとしても十分楽しめる作品だ。
記事は以上。
(記事情報元:WeiPhone)