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こんなんだったの?サムスンとの裁判の法廷証言で明らかになったAppleのiPhone・iPadの開発秘話とスティーブ・ジョブズの戦略

Appleは秘密主義で非常にガードが堅く、多くのことが秘密のヴェールに包まれている。だからこそ、外部の人がますますそのヴェールの内側を知りたくなるのは当然だ。

Appleとサムスンの間には、2011年に特許戦争が勃発した。そして最近、韓国のサムスン電子はようやく、Appleに賠償金として5.48億米ドル(約673億円)を支払うことに合意し、Appleの技術特許やデザイン特許(意匠)に侵犯した過去にけりをつけた形だ。今回の賠償判決の原因は、やはりサムスンがAppleの特許を侵犯していたことは明らかであることで、iPhoneの外観デザインを真似、というよりパクったためだ。ただ、その賠償額は昨年5月にアメリカの裁判所が下した9.3億米ドルから減額されている。そして他にもiPhone以外のサムスンが侵犯したとされる特許裁判が、また来年の春から審議に入ることになっている。

さてこれまでの特許訴訟では多くの裁判が開かれ、Appleやサムスンの証人が何人も法廷で証言を行った。Appleはサムスンの権利侵害を力一杯証明しようとし、そしてサムスンはAppleの控訴が無効であることをなんとか証明しようとしたが、現在は結果が全てを物語っている。しかしその証人による証言の過程で、思わぬ”副産物”が生まれた。これまでAppleが明かすことがなかったiPhoneのプロトタイプ(原型)とその戦略に関する秘密が法廷において公開され、白日の下にさらされることになったのだ。

唖然!実現しなくてよかったiPhoneのプロトタイプ

間違いなく、今回の特許戦争の中で明らかになったAppleの秘密の中で、最も興味を引くのが各種iPhoneのプロトタイプだろう。

▼たとえば、こんな八角形のiPhoneプロトタイプとか。。

▼こんな変わったアイデアのiPhoneプロトタイプも。ただ、側面のボタンはiPhone 4や5に通じるものがある。

▼このプロトタイプも、iPhone 4か5のデザインに似ているといえるだろう。もしかしたら、iPhone 4やiPhone 5のデザインは、プロトタイプに立ち返ってなされたものなのかもしれない。

▼もしこんなSonyのXperiaのようなデザインになっていたら、今のiPhoneはいったいどうなっていただろう。。しかし背面のカーブや樹脂を使ったデザインのiPhone 3Gは共通点が多く、このプロトタイプから発展したのかもしれないが。

▼そしてこれが最も最初期のiPhoneプロトタイプとされるものだ。面白いのが、左上のネットワークの強さの表示が、iOS 7でようやく採用された”点”で表されていることだ。そしてアイコンの殆どがOS Xのアイコンからとられているのも面白い。またホームボタンには”MENU”という文字も見てとれる。

▼他にもこんなiPhoneのプロトタイプがあったらしい。しかし当時のApple、恐らくあのスティーブ・ジョブズがデザインにダメだしをしまくったに違いない。もちろん、その目は正しかったといえるだろう。

 

iPhoneプロジェクト”Project Purple”の始まり

初期の段取りとソフトウェア

当時、現在は既にAppleを去っているスコット・フォーストール(Scott Forstall)がiPhoneチームのトップを務めていた。スティーブ・ジョブズはフォーストールに、社内のどんな部門からでも人をiPhoneチームに引き入れる権限を与えた。しかし同時にジョブズは彼に念を押した。社外の人間は考えてはダメだと。

そしてフォーストールが自分のチームに人を引き入れる時には、そのプロジェクトがいったい何をやっているのか、そしてその人が何を担当するのかということを先に伝えることができなかった。フォーストールはこう言うしかなかった。「もしあなたがこのチームに加わったら、数年は連続して努力してもらうことになり、夜も週末も休みの時間はなくなるよ」。そして更に非常に直接的にこのように言うしかなかった。「もしこの役割を担うことになったら、あなたは以前よりもっと仕事に努力をしなきゃならなくなるよ」。

Appleが”Project Purple”をiPhoneのプロジェクトに命名したのは、開発が1つの独立したビルの中だけで完了したからだ。そしてそこはまるでフォーストールの宿舎みたいなものだった。「あの中には24時間いつでも誰かがいて、そしてピザの臭いが充満していた」。

そしてそのセキュリティの程度といったらハエも入れないほどだった。ビルの入り口にはカメラとカードリーダが設置されており、そしてビルの中でもスタッフが重要な開発エリアに入るにはそのたびにIDを提示しなければならなかった。5〜6回に及ぶこともあったという。

最初のiPhone開発チーム”Project Purple”は壁に”ファイト・クラブ(Fight Club)”のポスターを貼り、そして”Project Purple”の既定の最初の第1条は、絶対にProject Purpleに関することは話してはならない、というものだった。

フォーストールは、初代のiOSのUIを開発する時の仕事量が非常に大きく、彼自身がそれに数年の時間を費やしたという。フォーストールは更に、ブラウザでウェブページを閲覧するときにピンチインやピンチアウトをして拡大・縮小する操作が個人的には受け入れがたかったので、ダブルタップをすることで拡大できる特徴を考えて搭載したと証言している。

2012年のAppleのiPhoneチームは2000人を超えており、現在は恐らくそれを超えているという。

ソフトウェア以外にも、今回の訴訟でAppleには工業デザインチームがいることがわかった。Appleの工業デザイナーのクリストファー・ストリンガー(Christopher Stringer)が法廷で証言を行うときに、以下のような興味深いAppleの内幕を明らかにした。

 

Appleの工業デザイナーのクリストファー・ストリンガーの証言によるAppleの”内幕”の暴露

ハードウェアと工業デザイン

当時のiPhoneプロジェクトの工業デザインチームには16人がいて、みんなクレイジーに1つの共通した目標によって集められた。。それは、これまでにない、空前の製品を作り出す、というものだ。Appleの工業デザインチームは非常に緊密に協力し合い、いつも現在と未来の製品についてアイデアと草案を交換し合っていた。ストリンガーは、チームメンバーが提出したデザイン提案に対するフィードバックは常に残酷で、しかし現実的だったと証言する。

そしてデザインの更新はゆっくりで、ある状況下では、1つの簡単なデザイン要素に50個の違ったモデル(模型)が必要だったという。

Appleの工業デザインチームは技術スタッフとも密接に協力していた。デザイン画異なることによってどんな問題が起こりどんな影響を与えるのか、例えば落下試験の耐性やなどについては、技術スタッフがデザインチームにフィードバックをしていたという。

 

初期のiPadのプロトタイプと”支え棒”

▼iPhone以外にもiPadのプロトタイプも証拠として裁判で提出された。初期のApple内でのiPadのデザインでは、iPadを立てるための支え棒というかつっかえ棒のようなものがあったことがわかる。しかしこれも恐らくジョブズの一喝でなくなったのだろうが。。

 

AppleはiPhoneに曲面(カーブ)デザインを施そうとしていた

ストリンガーは更に証言の中で、初代iPhoneが両面に曲面ガラスを採用するデザインになるかもしれなかったが、最終的にはこのデザインを諦めたと述べている。なぜなら当時のテクノロジーにはまだ制限があったことと、またiPhoneは量産をしなければいけないものだったことが理由として挙げられた。特に後者については、Appleのデザインの通りにガラスをカットするとそのコストは莫大なものになるからだ。ただ、プロトタイプとしてはこの曲面デザインのものも実際に製作されたというわけだ。

 

Appleの各幹部による裁判での証言で明らかになったAppleの”秘密”

Appleの目は数年前から自動車業界に向けられていた

Appleの上級副社長のフィル・シラー(Phillip Schiller)が法廷で証言したときには、iPodの成功を受け、Apple内部で独創的なアイデアが溢れていたときに、スタッフ達がなんでもやりたいと思ったことをやることを奨励したという。その点についてはAppleは非常に開放的だというのだ。

「iPodで成功した後、私たちは次に自分たちが何をすべきなのかを模索し始めました。私たちがiPodを開発できたのなら、次にどんな製品が作れるだろうかと。」

スタッフ達が提案した中には、プロユースのカメラや、自動車、その他のありとあらゆるクレイジーなものばかりだったという。面白いのは、少し前にiPodの父と呼ばれるトニー・ファデルが、2008年頃にはジョブズとApple Carはどうあるべきかということについて語っていたことを暴露していることだ。

 

AppleはなぜiOSをオープンソースにしないのか

2013年にAppleとサムスンの裁判が始まる前に、AppleのiOSエンジニアリング担当副社長のHenri LamirauxがiOSのソースコードを非公開していることについて、法廷に特別な声明文を提出した。その内容とは、

「Apple社内でも、Appleのソースコードは最高級のセキュリティ保護を受けています。iOSのソースコードの物理的なアクセス制限は、一部の限られた権限のあるAppleのスタッフだけで、しかも彼らが見ることのできるソースコードは知られるべき一部のものでしかありません。ソフトウェアの開発や管理やセキュリティに関わるスタッフがアクセスすることができます。これらのスタッフは、先に管理者の同意を得て権限を与えられます。彼らのアカウントには特別なアクセス権限が与えられるのです」

 

Appleはサムスンの“The next big thing is already here”という広告について骨の髄から恨んでいた

かつてサムスンは自身の広告でAppleやAppleファンを嘲るような表現をしてきた。今回の訴訟の中で公開された1通のメールで、実は前出のフィル・シラー上級副社長はAppleがサムスンのこのような行為に対して何も行動を起こさないことを非常に不満に思っていることが暴露された。シラーはティム・クックに広告代理店を切り替えるように提言したほどだったという。

2013年にサムスンが広告を打った後、シラーはTBWA\CHIAT\DAYの広告担当にメールをし、彼らに大きな改善をするよう求めた。しかも、すぐにだ。

 

Appleは毎月iPhoneのマーケット需要に対して調査と分析を行っている

ジョブズはかつて、Appleはマーケットリサーチ(市場調査)はしないと豪語していたが、実際はそんなことはなかった。Appleはサムスンとの係争の中で、AppleのiPhoneとiOS製品市場のマーケティング担当副社長のJoswiakが、Appleは毎月多くの国でユーザ調査をしていることを明らかにしたのだ。

Joswiakによれば、これらの調査はAppleにとって、他の国ではどんな要素が、消費者が他社の製品(例えばサムスンが売っているAndroidデバイス)ではなくAppleのiPhoneを選ぶ決め手になるのかということを理解するためのものだという。他社製品の特徴とは何か、そしてユーザの統計情報、そしてユーザのiPhoneに対する各方面の満足度も調査するようだ。

そしてこの調査は確実に、Appleが他国において、消費者がどんな細かい特徴をとらえてiPhoneを選択するのかということを理解するのに役立っているという。

Joswiakは、「私の許可がなければ、iPhoneやiPadに関わるいかなる調査結果もチーム以外の誰にも公開されないことになっています。私は普通、関係者にもこの資料を公開することはしません。もし私がマーケティング調査に関わる情報の公開に同意するとしたら、それらの情報は基本的にはアンケート型の調査の結果ですが、これらのデータも必要と思われるスタッフにだけ公開されます」。

 

スティーブ・ジョブズが2010年10月にApple Top100社員ミーティング向けに出したメールからわかるジョブズの戦略と作戦

 

ジョブズはiPhoneとAndroidの戦いを”聖戦”としていた

ジョブズはかつて、Appleがためてきた数十億ドル(数千億円)の現金を突っ込んでAndroidとの「核戦争」をしてもいいと述べている。また2010年10月に発せられたメールの中で、ジョブズは2011年にGoogle(グーグル)との聖戦(Holy War)を発動すると書いている。そしてこのメールが発動されてから半年後に、Appleはサムスンを法廷に引きずり出したのだ。

 

Appleの製品ロードマップは事前に綿密に熟慮されたものだった

▼前出の2010年10月のスティーブ・ジョブズの社内Top100ミーティングに向けたメールをよく見てみると、当たり前のことではあるが戦略も綿密に行われていることがわかる。決してスティーブ・ジョブズと製品の魅力だけで世界を魅了していたのではない。そこには裏付けされたデータがあり、そこにピンポイントに選択と集中を行ってリソースをつっこみ、そして最後にそれをジョブズが完璧なプレゼンで紹介していたのだ。つまり、鬼に金棒ということだ。

2011年のGoogleとの聖戦(Holy War)の字もあり、そして2011年のクラウドの年、というのも。当時のMobile meは料金的にもぼったくりで酷かったが。。

▼メールの続きで、2011年の計画として地理的な分析を進めるように書いている。北米、ヨーロッパ、日本、アジア。そして中国でバカ売れする可能性も示唆している。実際にそうなったのだが。

ジョブズはメールの中で、iPhone 4sの概要と、既にLTEのサポートした2012年モデル、つまり後のiPhone 5、そして実際にiPhone 5とはっきり明記してハードウェアに関することについて触れている。このメールは2010年10月で、iPhone 5は2012年10月にリリースされたので、ちょうど2年前ということになる。また、ローコストiPhoneのことにも触れている。iPod touchにアンテナを着けたタイプで、これでiPhone 3GSと置き換えることを考えている。これがiPhone 5cに繋がったのだろう。

ジョブズは更に、iPad 2をリリースして競争相手を更に出し抜くことを提起している。しかしこの気合いを入れて作られたiPad 2のできがよすぎたことから(現在でも使っている人もいる)、買替え需要が全く起こらず、結果的にAppleのiPadのタブレットPC市場でのシェア率の低下を引き起こしてひいては市場全体の不景気を招いてしまったのはちょっと皮肉な話だ。

▼またジョブズは2010年にはApple TVをリビングにおいてiOSアクセサリとしてなくてはならないものにすることを考えている。つまり、全体的なリビングのスマートホームへの進出を指示しているのだ。そしてまた、テレビサービスを考えていたこともわかる(来年からサービスがスタートするかもしれないといわれている)。そこには更に細かい提携先、NBC・CBS・Viacom・HBOなども羅列されていてかなり具体的だ。

そして最後のmagic wand、つまり魔法の杖が、もしかしたら先月リリースされたApple TV 4Gのあのリモコンに繋がったのかもしれない。

上記のジョブズのメールを見る限り、今年一部の新しいApple製品もかなりジョブズの戦略や作戦の延長線上にあることがわかる。めまぐるしい変化に見舞われるテック業界で、その死後4年経ってもその戦略が会社に残っているとはやはりまさに偉人。もちろん、Appleもジョブズの影から抜け出そうと努力はしているが。。

誰がいなくなっても、また日は昇る。Appleは今後、創業者のスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)が嫌っていたような製品をリリースしていくことだろう。しかしこれはいいことなのかもしれない。どれだけあがいても、ジョブズは既にこの世を去っているのだから。
変化するApple、スティーブ・ジョブズの陰から抜け出す時は今? - 小龍茶館

そしてAppleはサムスンに最終的に特許戦争で勝利した。現金保有額が25兆円のAppleにとっては、サムスンから得られる賠償額約673億円などは屁の突っ張りにもならないものかもしれない。それでもサムスンがiPhoneをパクっていたことを正式に米国司法が認め、サムスンのイメージダウンに繋がったのは間違いない。これこそ「死せる孔明生ける仲達を走らす」なのかもしれない。結局、Googleとの聖戦とはならず、サムスンとの聖戦となったわけだが。。

既に出回っている情報もあったが、サムスンとの裁判で証拠として提出された資料から垣間見るAppleの内幕の一部、楽しんでいただけただろうか?

記事は以上。

(記事情報元:WeiPhone

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