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Appleでジョブズと仕事をすることとは?前Apple中国幹部が語る

Appleで働くこととは?という記事を先日ご紹介したとおりだが、今度は中国のAppleの幹部からテスラに転職した輝かしい経歴を持つ女性のインタビューを見てみよう。彼女はスティーブ・ジョブズとも仕事をしていたという。以下はSina Techによるインタビュー記事の翻訳だ。

Apple中国の元幹部、呉碧瑄(Wu Bixuan、ウー・ビーシュエン)女史

Appleで仕事をするということはどういうことなのか?ジョブズはいったいどんなリーダーだったのだろうか?なぜ外部からはApple中国の幹部がよくわからないのだろうか?Apple中国はどのようなマーケティングを行っているのだろうか?

Appleは秘密主義の企業文化で知られ、外界からはこれらの問題を理解することはできない。ジョブズがいた時期には、Appleはともかく神秘のベールに包まれていて、彼の巨大な後光と素晴らしく美しいデザインの製品だけが見えたものだ。しかし時にはAppleを退職した幹部や社員の口から、その神秘のベールに包まれた内部のことが語られることがある。※以下は当ブログで紹介したエピソードだ。

"Appleで働くっていったいどんな体験なんだろう?"この問題の答えは、やはりAppleで今も働いている、或いは働いたことのある従業員、そしてAppleに近しい関係者に語ってもらう方が説得力があるだろう。
Appleで仕事するとは?従業員や関係者が語るApple内部の企業文化エピソードまとめ - 小龍茶館

今回は、前Appleの幹部だった呉碧瑄(Wu Bixuan、ウー・ビーシュエン)女史がロングインタビューに答えている

呉碧瑄女史がメディアに注目されるようになったのは、彼女がテスラ中国の副社長になったからだ。彼女の職歴は輝かしい。イェール大学で応用数学を専攻し、カリフォルニア州立大学バークリー分校でエンジニアリングと管理学の博士という学位を取得。世界にその名を知られるマッキンゼーで5年勤務した後、モトローラ中国で4年、その後Appleの大中華圏で7年仕事をした後、テスラで中国業務の副社長となった。現在呉碧瑄女史の肩書きは中国最大の私募基金である中科招商グループの聯席総裁として海外投資業務に携わり、最近総額4億米ドルの中国基金の海外では最大となるベンチャー投資プロジェクトを決めてきたところだ。

また呉碧瑄女史はApple中国を語る資格が十分にある。呉碧瑄女史は2006年にAppleに入社し、ずっと教育とエンタープライズ業務を担当していた。7年間、呉碧瑄女史がいた業務部門はアジア太平洋地区から大中華圏へとアップグレードされ、職位も総監からゼネラルマネージャー、そしてマネージングディレクター(取締役CEO)となったのだ。まさに呉碧瑄女史がAppleの中国での営業システムを作り上げたといっても過言ではない。

以下は一部編集された呉碧瑄女史のインタビュー記録だ。

  インタビュアー(以下イ):なぜ殆どの人がApple中国の幹部のことを知らず、また誰もメディアの取材を受けないのでしょう

  呉碧瑄女史(以下呉):それがAppleのスタイルなんです。以前ジョブズがいた頃は、彼が唯一のAppleのスポークスマンで、あの頃はクックは絶対に話すことはありませんでした。もしAppleで仕事をするなら、まず覚えておかなければならないことがあります。それは、メディアと話をするなということです。もしメディアと話したらAppleにいてはいけない。これはAppleの大きなタブーなのです。ジョブズは完璧主義者でした。彼は、もし他の会社と同じように多くの幹部達が公開の場でみんなが話をしていたら、容易に偏りが出て、それがAppleのブランドに直接影響すると考えていたのです。

次に、中国人は外資企業の運営方式を理解していないのかもしれないですね。中国に会社がある外資企業の組織や仕組みは中国企業と違います。Appleの大中華圏は業務によって部門分けがされていて、エリアマネージャーが存在しません。例を挙げますと、私の当時のボスは全部の販売チャネルの責任を負っていましたが、ただ責任があったのは営業部門のみでした。それぞれの部門が直接アメリカの本社に報告するのです。あなたが見かける外資企業の中国エリアマネージャーのインタビューでは、実際はパブリックリレーションズ(PR)の職責を負っているのです。

  イ:Apple中国の業務はどうやって発展してきたのですか

  呉:私がAppleに入った頃は、Appleの中国での業務は非常に小さいものでした。市場シェアは1%にも満たず、(中国全体で小さな)香港の売上げにも満たないほどでした。そんなわけでアメリカの本社も全く注目していませんでした。当時はiPhoneもなく、iPodとMacしかありませんでした。当時私が入社した頃はアジア太平洋地区となっていて、そこには南アジア、香港、大中華圏(大陸、香港と台湾)が含まれていました。中国大陸はアジア太平洋地域の中で最大の市場ではありませんでした。その後2010年にインド等の南アジアの国々が切り離されて、大中華圏の市場だけに集中することになりました。

以前中国業務は本当に小さかったので、Appleは直営小売業務に注目しました。これは直接Appleのブランド化に影響するからです。そんなわけで本部は我々に販売チャネル方式を認めました。この販売チャネル方式の利点は、多くのことをチャネルの力を借りて、中国のパートナーを通じることで、自分でやらなくてよかったことです。私の当時のボスは販売チャネル管理の専門家でした。数年で私たちは販売チャネルを組み立て、製品が出てきたらそれを瞬く間に爆発的に売ることができるようになりました。まさに、2009年のiPhone 3GSが中国大陸に入ってきてからのことですね。

  イ:Appleにとって、販売チャネルは中国ではどれほど重要なのでしょうか?

  呉:恐らく販売台数のうち95%は販売チャネルによって販売されています。Appleは2008年にやっと北京に直営店をオープンしました。当時は3年で20店舗に増やすといわれていましたが、実際には現在になってようやくその数字に達しましたね。なぜなら小売りは中国では非常に厳しい業界で、中国各地に直営小売店を作るためには各地の独特の問題が発生し、その足取りは国外ほど速くはできないのです。またAppleの小売店は中国では実態法人の問題がありました。当時私たちはある程度の時間を使ってゆっくり現状を理解しそして慣れていったのです。Apple中国の販売に関わる数字はどんどん伸びていますが、店舗の成績は実はずっといいとはいえないのです。

多くの外資企業が中国を巨大な市場としていい方向に捉えていて、自分が入り込めばそれによって得られるべきリターンが得られると考えています。なぜなら自分の製品はこんなに素晴らしいから、と。しかし実際は、中国では独特の運営方式を作ることでしか販売量を支えることができないことに気づかないのです。そして製品がよければいいほど会社は販促を軽視し、ひいては全く重要ではないと考えるのです。壁にぶち当たってからしかその考え方を改めようとしません。その先の道が曲がりくねっているということを予め知っていたとしても、まずは一回彼らにその道を歩かせないとですね、なぜなら彼らは実際に歩いてみないとわからないし、また振り返ることもしないからです。

それから、本部に直接報告できることも非常に重要です。中国市場の変化は非常に早く、販売チャネルは現地のマーケットを理解し、マーケットの変化をはっきりわかるため、それに対して反応してやらなくてはいけないからです。もしいちいちアメリカに報告して、本社が決定してからそれを戻すということをやっていたら、そのマーケットはとっくになくなっていることでしょう。そのような仕組みでは、永遠に数テンポ遅れてしまうのです。

  イ:Appleで教育マーケットに携わっていたと聞きましたが?

  呉:私は最初から教育とエンタープライズ(企業)担当でした。ただ、当時はエンタープライズ市場は非常に小さくて、印刷工場やデザイン会社など小さい会社しかなく、基本的に大企業はありませんでした。それにiPodはエンタープライズ向けではありませんでしたし。ということでMacしかなかったのです。当時の教育マーケットは、アジアでは北京に1つだけ、インターナショナルスクールがAppleのMacを使っていただけでした。私たちはインターナショナルスクールがまず最良の突破口だと考え、彼らの教育方針と、Macがクリエイティブを強調している特徴が一致すると考えました。彼らはApple製品を試してみようという意欲がありました。そして現在は90%以上のインターナショナルスクールでMacが使われています。アート関連スクールも私たちが重点を置くマーケットです。なぜなら彼らはデザインやカラーなどにとても高い要求を持っており、これもMacが優れているところだからです。

私と当時の上司は、少しずつ販売チャネルを組み立てて、販売チャネル戦略を作っていきました。例えば、いくつかのプロジェクトを通じて学校を支援したり、教師達にMacの使い方を教えたりしました。そしてMacは割引をしないのが大前提なので、販売チャネルにソリューションを与え、インセンティブサービスを作り上げなければなりませんでした。ハードウェアを売るだけではなく、もっと大切なのは販売した後にどのようにお客様にサービスするかということです。私は最初から主なリソースをビジネスの開拓とマーケティングに費やしました。初年度は8つの学校でMacを使ってもらいました。ちょっとずつ、私たちのビジネス開拓部隊を作って行ったのです。

  イ:Appleで仕事してどんな感想を持ちましたか?

  呉:Appleはとても我慢強い会社です。これはたぶんジョブズが人生の後半に出会った禅と関係があると思います。彼が大事にしたのはシンプルであることと集中することでした。多くの場合、彼が要求するのは少ないことを細かく、で、多くのことを雑に、ではありませんでした。Appleでの仕事で重視されるのはスピードではなく、品質と正確さでした。また多くのことをこなすことも求められず、毎年やることをクリアにしてからまた仕事に臨むことを求められました。今日はこのこと、明日はあのことを考えるというはダメでした。毎年、私たちはビジネス計画を立てるときに、最も重要なことは何か、ということを考えさせられます。なぜなら会社にリソース要求をするときに、多くの人が挑戦してくるからです。Appleの文化は”ノー”ということです。あなたは仕事をする時に、どのようにやるかをはっきりと決め、深く考えて熟考してからでないと上司の同意を得ることができず、また実行することもできないのです。

ジョブズ時代には、彼は多くの着想を出してきました。そしてその下にはまるで機械のように高度に組み立てられたスキームが動いていました。ジョブズとクックのタッグは完璧な組み合わせでした。ジョブズは製品と営業、クックは運営と販売を担当していました。私は全世界のどこを探してもAppleのような会社を見つけることはできないと思います。

全ての販売に関する問題は、ジョブズはクックに責任を負わせていました。クックは数字や細かいことに非常にこだわる人で、また仕事のリズムにもこだわりますAppleの販売部門全体がまさに1つの機械のように、リズム感があり、毎日全員が何をしているのかをはっきりと把握しています。例えば、Apple製品がもうすぐリリース発表される時期になると、リリース時期については知らせないものの、実際には内部販売はコントロールされ、チャネルが少しずつ空になっていきます。そして新製品が発表される頃になると、古い製品は整理され、新製品がどっとその空間に埋まることになります。

  イ:ジョブズの性格は粗暴だったでしょう?

  呉:ジョブズは非常に高い要求をしますが、しかし彼は同時に辛抱強い人でもあります。なぜなら彼は完璧を求めていて、研究開発に時間をどれだけかけても気にしなかったからです。私はAppleに入ってからようやく、なぜAppleが製品の発売時期をあらかじめ確定しないかということを理解しました。なぜならジョブズは準備が整っていない製品を発表したくなかったからで、そんなわけで製品開発は時々延期されました。彼の考え方と追い求めるものは他とは違うもので、外界の期待に従って何かを開発するということはありませんでした。完璧を求める人は、自分自身のリズムに従う必要があるのです。彼は本当に本物の製品を作る人で、製品のリリースが遅れることなど全く気にしませんでした

しかしジョブズも常に学習していました。彼がAppleに戻ってきてからは、それ以前とは全く変わっていました。彼は何を諦めるか、また何を管理してはいけないかについて知っていました以前会議の際に、ジョブズは5分間業務に関するデータについて話したのですが、全てが製品についてでした。営業のことなど彼は全く見ていなかったのです。ジョブズが始めにLisaを作った時、あまりに細部に注意を払いすぎ、生産ラインにまで過酷な要求をしたことがありました。彼はその後様々な経験をすることで、自分なりの総括をしたのでしょう。

どんな人がいいボスでしょう?いいボスとは、あなたに活躍する空間を与えてくれる人で、あなたの強みを知っていて、それをあなたにやらせる人です。ジョブズは全ての人の異なる長所を知っていて、彼ら同士を協力させることができ、また環境や戦略やサポートを与えることができました。そして彼は本当のソウルを持っていて、戦略の方向性もわかっていて、強大なチームによってそれを推し進めていました。彼は多くの異なる性格の管理者を一つに融合することができたのです。その中にはあのスコット・フォーストール(Scott Forstall)もいました。

  イ:ではあなたはなぜAppleを辞めテスラに転職したのですか?

  呉:私の性格が、常に新しいことやものを求めるからです。Appleにいた時に、チームを作って、戦略も完璧にでき、販売チャネルも準備完了となりました。基本的に私は今年中に来年やるべきことがわかり、どのような数字を作ることが可能かを知ることもできました。しかしこれではチャレンジがありません。私はAppleに残ることもできましたが、私はチャレンジをしたかったのです。マッキンゼーをやめた時も同じような感じでした。そして私は当時、テスラの製品はすごくいいなと感じ、そこで自分を鍛えてみたいと考えたのです。

  イ:テスラでの仕事を振り返ってどんなことを感じていますか?

  呉:私はイーロン・マスク(Elon Musk)に直接報告しているわけではないのですが、当然全ての国をまたいだビジネスをやっている会社が同じ問題を抱えています。私は以前多くの問題とチャレンジについてイーロン・マスクに非常にはっきりと説明したのですが、最後にそれが実行される際には何か1枚間に入っているような感じがしています。そんなわけで私は多くの場合直接メールをイーロン・マスクにCcを入れ、彼に実際の状況をわかってもらうようにしています。多くのことはちょっとここではいえませんが、いい販売をすることと、いい製品を作ることは完全に違うということですね。

記事は以上。

(記事情報元:Sina Tech

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