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43年前に誕生した初めての携帯電話、充電10時間で通話時間はたったの20分

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1973年4月3日、つまり43年前、モトローラ(Motorola)のエンジニア、マーティ・クーパー(Marty Cooper)が街中で重さ2.5ポンド(約1,130g)、長さ9インチ(228mm)、厚さ5インチ(127mm)のモバイルデバイスを取り出した。。これがモトローラの初期のDynaTAC携帯電話だった。

彼は街中で”通話”ボタンを押し、ベルの実験室に向けて1回目の電話での通信を行った。歴史的な意義を持つ”携帯電話”の誕生の瞬間だったのだ。

(Photo by itsasmallweb

しかしこの初めての”携帯電話”は、10時間充電して20分しか話すことのできない、まるでレンガのような電話だった。表示ディスプレイもなく、機能もシンプルに3つに限られていた。「話す、聞く、番号で電話をかける」だ。

bz mobile — PHOTO PROVIDED B Y GREAT CALL- Husband and wife team, Martin Cooper, inventor of the cellular telephone, and Arlene Harris, CEO of Great Call, creator of the Jitterbug Phone, and holder of multiple patents in the field of technology, hold their respective cell phone inventions for a portrait Thursday, March 23, 2006 in San Francisco, CA. AP Photo/ Great Call, Erin Lubin, HO ORG XMIT: CELL_PHONES_006_B.JPG

(Photo by Baltimoresun

そして面白いことに、この携帯電話を使って初めてかけられた通話は、マーティ・クーパーのライバル、ジョエル・エンジェル(Joel Engel)に向けてのものだったことだ。「ジョエル、僕だよマーティだ。僕は今携帯電話を使って君に電話をかけている。本当の意味での、手に持てる携帯電話でね!」当時ジョエルもモバイルフォン(移動式電話)を開発していたが、開発に成功していなかったという。

The Atlanticによれば、数ヶ月後、この電話と共に携帯電話通信システム全体の技術特許が市場に現れた。現在と同じような、携帯電話基地局による通信システムだ。

そして10年ほど開発に時間がかけられた携帯電話は、70年代末に量産が実現した。しかし1983年、このモトローラのDynaTACは同時の販売価格で4000米ドルもした。当時1983年のドル:円為替レートの平均(最安値と最高値の中間)は1ドル=236.75円なので、4000ドルだと約947,000円、つまり1台約100万円もしたわけだ。それでいて充電時間は10時間、通話時間はたったの20分だった。今からでは考えられないレベルだろう。

その後、米国のAmaritech社がシカゴで初めての1Gでの通信規格をスタートさせた。

(Photo by Buttonsonabrick

関連資料によれば、当時の携帯電話の使用領域はこんな感じだった。1979年の東京では23個の基地局ができ、世界で初めて携帯電話ネットワークが1つの都市全体をカバーするという快挙を達成した。ヨーロッパではその2年後に移動通信網がフィンランド、ノルウェー、スウェーデンやデンマークなど北欧で整備され始め、それ以来フィンランドが世界のモバイル電話技術のイノベーションの中心となった。例えば、フィンランドでは初めて2Gネットワークが誕生し、2001年には3Gネットワーク技術が誕生している。

(Photo by Joshua-s

モバイルフォンという概念は、1983年には既にとても新しいというものでもなかった。1940年頃(第二次世界大戦中)、アメリカのベル研究所では世界で初めての移動式電話の実験が行われていた。しかし体積が大きすぎて、研究者達はそのテスト機を実験室のラックの上に置いておくしかなかったという。

その後通信会社のAT7Tが移動式の電話の開発を続け、1960年代には同社は体積が非常に大きいモバイル無線電話を開発した。ユーザはこの電話を大きなトラックに据え付けることができた。この電話の使用目的として設定されたのは、、トラックによって無線電話設備を運んでデータのやりとりをする、というものだった。

(Photo by Denunt

クーパーはかつて取材で彼の考え方を明らかにしている。「私はずっと1つの信念を貫いている。それは、人は生まれながらにして移動するものだ。人は根源的・本質的に移動する個体で、人々は最終的に無線を求めるもので、これは革命なのだ、と」

そしてその信念が正しかったことはその後の一連の発明で証明されている。そう、現代では本当の意味での”携帯”電話やスマートフォン、タブレットデバイスやGPSデバイスなどが実現しているからだ。

 

画蛇添足 One more thing…

移動電話や携帯電話は日本では非常に独特の発展をした。

非常に高価だった自動車電話、肩からかけるタイプのショルダーホンを覚えている人はいるだろうか。まだ「電話番号加入権」も一緒に買わなくてはならず、しかも機器は電電公社からのレンタル品という時代だった。電源のテクノロジーがまだ未熟だったため、電源の確保が課題となり、車載バッテリーからの給電か、大きなバッテリーを肩からさげなければならなかったのだ。それでも、「移動先で電話がかけられる」ことは大きな進化だった。ちなみに民間用自動車電話としては日本は世界初、1979年12月3日に導入している。

そしてその後ポケットベルやPHS、そして日本独自規格のPDC方式の携帯電話が登場した。PHSもPDC携帯電話も日本独自規格で、海外では一切使えるものではなかった。そしてその後3Gの時代になってようやく世界の規格にあわせて通信規格が統一されたが、端末については今現在に至るまでキャリア主導の端末導入のため、殆ど自由に端末を選ぶことができないという文字通りのガラパゴス状態だ。

AppleがApple Store公式では日本でもSIMフリーiPhoneを公式にリリースし、その後MVNOが普及するなどだいぶ風穴は空いたと思うが、それでも日本はまだまだ自由に端末が選べる状態にないのは残念だ。

記事は以上。

(記事情報元:iFanr

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