2011年10月5日、スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)がこの世を去った。人々は悲しみにくれたが、その時、こんな希望が湧いてきた人もいたかもしれない。”ジョブズの息子が父の偉業を継いで、次の世界を変える人になってくれるのではないか?“と。
答えは非常に残忍なもので、それはありえない。ジョブズの息子ははっきりと、父の遺志を継ぐことなく、違う業界に行くと明言しているのだ。
ジョブズの息子がなぜ父親のいたテック業界を捨てたかを話す前に、まず背景となるジョブズの家庭について解説する必要があるだろう。
ジョブズの家庭の背景
ジョブズには2つの家庭があったといわれている。1つは元彼女のクリス・アン・ブレナン(Chris Ann Brennan)とその娘のリサ(Lisa)からなるもので、もう1つが妻のローリーン(ローレン)・パウエル(Laurene Powell)と3人の子供からなるものだ。
クリス・アン・ブレナンとの家庭
ブレナンとの物語は既に多くの人に知られている。ブレナンはジョブズの高校生の時の恋人で、二人の関係はその後もくっついては離れを繰り返した後、最後にはそれぞれの道を歩むこととなった。ジョブズのブレナンとの交際はうまくいかなかったが、ジョブズは一人の美しい娘をもたらした。それがリサだ。しかしジョブズはその娘のことを認知せず、双方はそのことで争い、後には裁判になった。リサが2歳になった時、ジョブズはようやくリサが自分の娘であることを認め、その教育について援助することを認めた。ジョブズはAppleのコンピュータの名前にLisaと自身の娘の名前をつけたくらいで、娘のことは愛していたようだ。
■クリス・アン・ブレナンとリサ
ローリーン・パウエルとの家庭
ブレナンとのゴタゴタがあった交際関係と比べれば、ローリーン・パウエル(ローレン・パウエルとも)とジョブズの物語は普通に穏やかなもので、その内情を知っている人はごく少ない。ただ、一人で家庭を支えなければならなかったクリス・アン・ブレナンと比べれば、ローリーン・パウエルは非常に幸運だといえるだろう。
パウエルは大学の時にジョブズと初めて知り合った。1989年10月、とある恋愛に区切りをつけたジョブズがスタンフォードビジネススクールで講演をした時、親友の強引な紹介で、その講演を聞きに来ていたローリーン・パウエルと出会ったのだ。ジョブズは若いパウエルに心を動かされ、その晩の会社の営業チームとの夕食を断り、パウエルを夕食に誘った。パウエルはそれを断ることなく受け入れ、すぐに二人は一緒になった。
■スティーブ・ジョブズと妻のローリーン・パウエル
1990年のある日、パウエルはジョブズのプロポーズを受けた。次の年の1991年3月、27歳のパウエルは36歳のジョブズと正式に婚礼を挙げた。そしてその6ヶ月後、彼らの初めての子供が誕生した。
ジョブズのたったひとりの息子、リード・ポール・ジョブズ
この初めての子供がジョブズの唯一の息子だ。誕生の2週間前から、彼は既に”ジョブズの息子”と呼ばれていた。その後、ジョブズ夫妻は彼に正式な名前をつけた。リード・ポール・ジョブズ(Reed Paul Jobs)だ。ポールはジョブズの養父を記念してつけられており(ちなみにスティーブ自身のミドルネームもポール)、リードはジョブズとパウエルが耳ざわりが良い発音だと感じたからだといい、俗説の”ジョブズの母校のリード大学を記念した”わけではない(ジョブズはリード大学を中退している)。
■ジョブズ一家の写真。左からスティーブ、イブ、リード、エリン、ローリーン
スティーブは息子のリードを一番かわいがっていた
リード・ジョブズが生まれてから程なく、パウエルはまたジョブズとの間に2人の女の子を産んだ。エリンとイブだ。43歳のジョブズは多くの人が望んでいる”事業が成功し、息子と娘に囲まれる”という生活を手に入れた。しかし他の多くの家庭であるように、ジョブズ家でも特別可愛がられる子がいた。それがリードだった。ジョブズの伝記ではこのような描写がある。
“ジョブズとリードの関係は非常に濃いものだったが、娘たちに対しては、彼は比較的疎遠にしていた。もちろん彼も同じように娘を好きだったし、時々彼女たちに気を配っていたとしても”。
リードは聡明な若者に成長、高校の時のクイズ番組で頭角を現す
リードは両親の聡明なところをよく引き継いだ。彼は中学校を誰もが羨む私立のクリスタルスプリングアップランドスクール(Crystal Springs Uplands School)にて学び、高校卒業後は世界のトップ人材が集まるスタンフォード大学に進学している。
大学卒業後の就職への不安はないはずのリード・ジョブズだが、大学に入る前の2010年に彼ははっきりと他の業界に入ると明言している。
リードはまだクリスタルスプリングアップランドスクールの生徒だった時、学校を代表してあるテレビ局が行ったクイズ番組に出演した。その番組内で、リードは姓を母親のもの(パウエル)にし、余計な憶測や議論を呼ぶのを避けた。控えめな性格がわかるというものだ。
■クイズ番組に出演した頃のリード・ジョブズ。名前が上記の通りリード・パウエル(Reed Powell)になっている。
とはいえ、彼は多くの人々の注目を集めた。ただ、それは彼の家庭的背景があったからではない。リードがそのクイズ番組の中で豊富な知識と非常に精巧な答えを出すことで、その場にいる人全員に深い印象を与えたのだ。
リードは医学者を目指し、父と同じ業界は目指さないことを明言
司会者に学校でどんなことをやっているのかと聞かれた時、リードは「私達は結腸癌の新しい遺伝子を探しています。これによって、結腸癌だとすぐに診断可能な手がかりとなるからです」と答えている。
リードは更に、将来の職業として“腫瘍の学者になりたい”と語っており、そうすることで腫瘍に関する疾病にかかっている人たちの命を救えるからだとしている。
父スティーブの癌との闘いが、彼を医学界へと導いた
父スティーブ・ジョブズは2003年に膵臓癌であることが発覚し、2010年に彼と癌との闘いは7年目に突入していた。その時、ジョブズは彼があと2年しか生きられないことは夢にも思っていなかっただろう。リードは壇上で自分の将来の願望を語った時、スティーブと妻のローリーンは静かに彼を見守った。スティーブはリードの心の中で、父親が難病にかかったことでこの疾病を根治する勇気と決心が芽生えたことをよくわかっていた。彼は息子の理想に心を打たれたのだ。
スティーブが息子リードの高校卒業を喜んだメール
リードの高校卒業の日、スティーブは伝記の著者、ウォルター・アイザックソンにメールをした。その中でスティーブはこのように語っている。
“今日は最高に楽しい1日だよ。リードが高校を卒業したんだ。今だったらどんな賭け率だって僕は賭けるよ”
■Appleのイベントに参加したリード・ジョブズ。確かにスティーブの面影がくっきりと。。
画蛇添足 One more thing…
父親が癌と闘っているのを見て医学者を目指した、そのリードの行動には称賛を送りたいし、それもスティーブの息子リードへの愛情の賜物だろう。
私自身も父を癌で亡くしているため、リードと同じ気持はある。父を亡くした時既に私は大学を卒業していたためいまさら医者を目指す訳にはいかないが、今後も癌や重い疾病の撲滅のための行動には何らかの形で関わっていきたい。
さてスティーブの息子リードはAppleの後継者になることはないことがわかってちょっと残念な思いをした人もいるのではないだろうか。とはいえスティーブの息子が完全にスティーブのように、いやスティーブ以上の活躍ができるかどうかなんて誰にもわからない。自分がいちばんやりたいことをやるのがその人にとってベストなことではないだろうか。
そしてAppleの今後は暫くティム・クック(Tim Cook)CEOと前の記事で紹介したジェフ・ウイリアムス(Jeff Williams)COO、そしてデザインのトップ、ジョニー・アイブ(Jony Ive)による体制が続くだろう。
記事は以上。
(出典元:WeiPhone、意訳・追記あり)