23年前の米国現地時間1995年11月17日、日本時間11月18日に、AppleはMacintosh(現在のMac)向けのMac OS Coplandの最初のベータ版をリリースしました。しかしこのベータ版はたった50人ほどのMac開発者だけに向けてリリースされたものでした。
当時はまだMac OS 7の時代で、このColandベータ版は全く新しいMac OSアップデートというわけではなく、超強力なWindows 95の脅威に対抗すべく、陳腐化したMac OSのデザインを一新したものでした。しかし悲しいことに、このCoplandは一般ユーザの手元に届くことは最後までありませんでした。当記事では、Cult of Macの記事の内容をもとに、CoplandというAppleの黒歴史を振り返ってみたいと思います。
Mac OS CoplandはAppleの事実上の最大の失敗で、悪夢のようなOSだった
Coplandは事実上Appleにとっては悪夢のような存在でした。Owen Linzmayer氏の著作『Apple Confidential』の中の章”The Copland Crisis(Coplandの危機)”にその理由がよく描かれています。
当時、Appleユーザや従業員からも、Mac OS 7が陳腐化していて非常に動作が不安定で、Windows 95の登場によるPCユーザの方がUXが優れているという苦情があがっていました。Appleは当時、Windows 95のアドバンテージの脅威に晒され、Mac OSの抜本的な刷新が求められていたのです。
Mac OSはお世辞にもWindows 95より進んでいるとはいえないOSでした。更にMacはWindows PCよりも値段が相対的に高いということもあって、市場シェアがますます縮小していたため、Apple本社も真の意味で何らかの対策を打たなければなりませんでした。
AppleはMac OS Coplandの構想を1994年3月に発表していました。このCoplandの名前は、アメリカ合衆国の作曲家、Aaron Coplandからとられていて、Mac OSを徹頭徹尾見直して再構築したもの、という構想でしたが、最終的にその構想は、当時外部にいたAppleの共同創業者、スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)が立ち上げていたNeXT社のUNIXベースのNeXTSTEP(OPENSTEP、のちのOS X)によって数年後に実現されることになります。
Coplandの構想の中には、今のOS Xではおなじみの機能がいくつも盛り込まれていました。例えば、Spotlightのような、ツールバーで検索可能な”live search”機能などです。そして、更に完全なマルチタスクも構想されていました(当時のMac OS 7はマルチタスクが完全ではなく、メモリの管理が不十分で、システム全体を巻き込んで全てがクラッシュして爆弾が登場しまくるという最悪の事態が頻繁に起こっていました。)。
更にCoplandでは複数ユーザによるログインも構想されていました。ユーザによって異なるデスクトップやアクセス権限が与えられるというもので、現在では当たり前の機能ですが、当時は殆ど聞かれなかったものでした。
また、外観カスタマイズも「テーマ」によって可能になっていて、そのオプションには最近macOS 10.14 Mojaveで実現したダークモードもありました。また明るいテーマや、子供向けのテーマもあったのです。そして3Dシェードエフェクトや色合いなどが変わったことで、新しいMacという印象づけを狙っていたのです。
そして現在のDockやWindowsのタスクバーと似たような機能として、ウインドウをスクリーンの下部にドラッグすることでタブのように扱えるような構想もありました。
そして大きな変更としては、AppleはCoplandをPowerPCプロセッサネイティブにし、それ以前の古いプロセッサについてはエミュレータで動かすとされていました。
こう聞くと、Coplandはかなり進んだOSのようにみえます。
迷走を続けるMac OS Copland、最終的にはプロジェクトが中止に
しかしAppleは最終的に、Mac OS Coplandをリリースすることはありませんでした。23年前の1995年11月のベータ版が最後となったのです(実際はその後1996年の8月に極少数のパートナー向けに開発版の “Developer Release 0″がリリースされましたが、何もしなくてもクラッシュするほど非常に不安定なもので、全く実用的ではありませんでした)。最終リリースは1996年、そして1997年と延期されていきました。そしてその予算はますます膨れあがり、Appleはリリースを延期するたびに更に新しい機能を発表してその遅れをごまかすしかなくなってきていたのです。
1996年には、500人ものエンジニアがCoplandの開発に当たっていて、年間2億5千万ドルもの巨大な予算が注入されていました。Coplandは正に、成功のために多大な犠牲を払われた製品でした。まさに、巨大な負の遺産だったのです。
そしてAppleが7億4千万ドルの赤字を発表した年に、”半導体業界の再建屋”ことAppleの当時のギル・アメリオ(Gil Amelio)CEOがWWDC上でCoplandは新バージョンとして単独リリースするのではなく、これまでのOSのアップデートという扱いになるとして、Harmony、Tempoとして半年ごとにアップデートすると発表しました。そしてその数ヶ月後に、AppleはこのCoplandプロジェクトそのものの中止を決定します。
CoplandはApple最大の失敗と言っても過言ではありません。そのおかげで、Appleは経営的にも大赤字を抱え、倒産の危機に陥ってしまうのです。
Mac OS Coplandの存在意義
今日、Coplandの最大の遺産は、AppleのOS戦略の見直しを迫ったことといわれています。そしてこのCoplandの大失敗が、後にAppleがスティーブ・ジョブズ傘下のNeXT社の買収による次世代OS計画”Rhapsody”、そしてその後”OS X”計画への移行を進めるきっかけとなり、スティーブ・ジョブズがAppleに復帰したことで、その後のAppleの大逆転劇が展開されることになったという意味では、大きな意味のある失敗だったのかもしれません。
他の多くの90年代のApple製品と同様、Coplandは技術的にそのポテンシャルを全く発揮できない製品になってしまっていました。他の製品の大部分は最終的には市場向けにリリースされましたが、Coplandは1 Infinite Loop(Apple旧本社の住所)から非常に限られた範囲内だけにしか外に出られなかった、非常に未発達で未熟な製品にとどまってしまったのです。
Coplandが失敗した要因と技術的困難
Coplandは6年もの時間がかけられて開発された割りに失敗した要因として、Wikipediaでは以下の数点が挙げられています。
- 度重なる最高経営責任者の解任などアップル経営上層部の混乱
- 既存のToolbox APIが68000に強く依存しており、上位互換を保つ事が技術的に非常に困難であった。
- 開発チームやATGの連携がほとんど行われておらず、個々のチームがバラバラにそれぞれの要素を開発していた
- 営業サイドからの過大な要求を取り入れたことによって、計画が際限なく肥大化していった
- 技術マネージャー側も計画を精査することなく、次々と新機能の開発にゴーサインをだしてしまい、リソースが発散してしまった
- 既にメモリ保護やプリエンプティブを搭載したWindows NTがリリースされていた市場からの圧力
- Coplandとは別にTaligentプロジェクトという別OSの開発計画を併行させた
- NewtonやGeneral Magicなど、別OS/デバイスの開発計画を併行させ、Macの主要開発者が離散したこと
また、従来のMac OS 7のToolbox APIが完全なシングルタスクが前提であったことから、マルチタスク環境との両立が技術的に困難だったようです。
Mac OS Coplandの機能や構想の一部は現在のmacOS(OS X)に引き継がれている
Coplandの一部の機能はその後のMac OS 8/9にも引き継がれました。ファイルシステムのHFS+、新しいFinder、アピアランス・マネージャ、キーチェーンなどの機能で、これらのうちの一部は現在のmacOS(OS X)シリーズにも引き継がれています。ただ、Mac OS 8/9ではこれらの機能が十分に活かされることはなく、OS Xになって初めて活かされたことは特筆に値します。
当時のCoplandのニュースを思い出された方はいらっしゃいますか?Appleにとってはまるで黒歴史のようなOSでした。メディアでも様々な噂が飛び交い、多くの期待を寄せながら延期を繰り返して最終的には失敗したCopland。その後のGershwin、Rhapsodyなどのプロジェクト名も懐かしいですね。
Coplandは後のスティーブ・ジョブズによるApple大逆転劇を演出したという意味では大成功?
Appleも過去は数々の失敗を繰り返しながら、現在の世界最高の市場価値を持つ会社になりました。これもひとえにスティーブ・ジョブズの復帰の貢献が大きいのですが、そこに至るまでにCoplandの大失敗があったことは大きいです。もしCoplandがそこそこ成功してしまっていたら、AppleによるNeXT社の買収は起こらず、スティーブ・ジョブズの復帰もなく、スティーブ・ジョブズのNeXT社が開発したNeXTSTEPも、現在のOS開発の規範と呼ばれるほど素晴らしいものであったにもかかわらず、そこまで日の目を見ることはなかったかもしれません。
スティーブ・ジョブズによる、OS Xの登場によってMac OS 9の葬儀が行われた2002年のプレゼンは今でも覚えていらっしゃる方が多いかもしれません。
Appleにとってはまさに”失敗は成功の母”ということわざを地で行ったのがCoplandだったのかもしれません。
私個人的には、このCoplandの混乱時期の漢字Talk 7があまりにシステムクラッシュが多すぎて辟易としてしまい、Windows 95に浮気してしまいました。私がその後AppleのMacに戻ってきたのはOS X Leopardの時代でした。
記事は以上です。
(記事情報元:Cult of Mac)